上記リンクは、諏訪「御柱祭」についてのウィキペディアの記述。
上記リンクは、「諏訪大社」についてのウィキペディアの記述。
上記リンクは、御柱をお迎えする「御舟」の祭事について記したブログさん。
上記リンクのブログさんで、
バイキングの葬式について、1000年程前の北欧の風習で、
水辺に4本の白樺の柱を建て、
陸に置いた船を燃やして葬儀をする、といった記述をみかけた。
諏訪の御柱祭りでは、
申と寅の年ごとに、新しく4本の柱を建てる。
山から切り出された各柱が、本宮に向かって進んでくると、
「一の柱」を出迎えるために、本宮から「御舟」という神輿が出発し、
担ぎ手達が「一の柱」に一礼して、
また本宮に引き返すのだという。
この「御舟」には、薙鎌が取り付けられている。
4本の柱、異界と往来する舟。
1000年前の北欧と、日本の諏訪大社とで、
不思議にどこか似通った祭儀の型が、伝わっている。
諏訪大社の「御舟」は、
黄色い装束の担ぎ手達に運ばれ、
薙鎌をシンボルとしている。
黄色い装束は月光、
薙鎌は、農具であり
三日月型の武器でもあるだろうか。
鈴も取り付けるという。
鈴の音は、神の降臨を知らせる合図だろうか。
神の気配は、目には見えないけれど、
風のように鈴を揺らし、鳴らす。
風そのものが、神かもしれない。
舟に乗って、三日月の武器を持つ神様には、
古代シュメールの都市ウルの主神で、
月神のシン(ナンナ)がいた。
案外、北欧バイキングの葬式の源流や、
諏訪大社の祭りの遠い起源が、
古代メソポタミアの月神だったりしても、
だんだん驚かなくなっている……そんな妄想メモ。
月神シンは、
ナツメヤシの葉と関連づけられている。
なぜなら、ナツメヤシの樹は1年に12枚の葉をつけ、
古代シュメールの人々にとっては、
1年12カ月の「月の暦」と結びついていた。
月の力を帯びた葉は、
豊穣と知恵のしるしであり、
「欠けても再び満ちる月」の運行から、
死と再生の神秘を象徴していた。
古代の人々は、変遷する月神の姿を
「満ちる月、満月、欠ける月」の三相で一体とみなした。
諏訪大社の神紋は、三枚の葉だ。
とある日本の祭りの由来が、
その昔に船を操り、渡来してきた人々の
古い月神の記憶だ、という
場合があっても、
ほんとに驚かなくなっている……そんな妄想メモ。
(^ ^;
古代オリエント世界の天文知識(星座図や暦)の発達の中で、
シュメールの主神・風と嵐の神だったエンリルは、
北天を司る神とされた。
北天の神のイメージは、不動の北極星への信仰とも結びつきながら、
バビロニア発祥の天文や暦の知識とともに、
他地域の文明、後の時代の神々に、大きな影響を与えた。
以下リンクは、ウィキペディアによる「天皇大帝」の項。
中国を経由した「北天と北極星の神」=「天皇大帝」が、
日本の「天皇」の源流ではないか、という説もある、と。
そして、京畿・伊勢・近江などの地方では、
「北斗七星に灯火を奉る」民間の北辰信仰があり、
796年以降には、それを朝廷が罰則つきで禁止して、
その祭祀を伊勢神宮が独占した史実が伝えられている。
以下は、上記リンクのウィキペディア記述より引用。
北斗七星(
おおぐま座)は水を汲む 「斗」 の形をしており、大地を潤す農耕の神のシンボルでもあった。『
史記』 『
星経』 には北斗は北辰を中心に一晩で一回転し、一年で斗柄は十二方位を指し、止まることのない永久時計として陰陽(太陽と月のこと)、そして夏・冬を分け、農耕の作業時期を示し、国家安寧を保証するとある
[12]。
天皇大帝はその聖性の象徴として神器(道教の用語)を持っている。神器は 「鏡」 と 「剣」 であり、
呪具(magic tool)と
威儀具とを兼ねている。
儒教では、中間色である 「紫」 を正色(
原色)である 「赤」 よりも格下に見る
[13]が、天皇大帝は 「紫宮」 あるいは 「紫微宮」、「
紫宸殿」(ししんでん)、「
大極殿」(だいごくでん)などと呼ばれる宮殿に住んでいることになっており、また北極星の光芒は紫色とされ、紫色を最高の神聖な色としている
[14]。
[15]私幣禁断に類似する禁令[編集]
私幣禁断とは、一般には天皇家の
祖霊を祀る伊勢神宮を天皇・
皇后・
皇太子以外が祀ることを禁じたことを言う。これに似た内容の禁令が以下のように出されている。
- 796年、日本の天皇は北斗七星を祀ることを禁じた。罰則として 「法師は名を綱所に送り、俗人は違勅の罪に処せ」 と規定した(『類聚国史』 「延暦十五年」)。
- 799年、斎宮が伊勢神宮へ行くに際して 「京畿の百姓」 に 「北辰[18]に灯火を奉る」 ことを禁じた(『日本後紀』 「延暦十八年九月」)。
- 811年、斎宮が伊勢神宮へ行くに際して九月の一ヵ月間、「北辰を祭り、挙哀改葬等の事」 を禁じた(『日本後紀』 「弘仁二年九月一日」)。
- 835年、斎宮が伊勢神宮へ行くに際して九月の一ヵ月間、「京畿」 での 「北辰に火を供えること」 を禁じた(『続日本後紀』 「承和二年八月二日」)。
- 967年施行の 『延喜式』 は斎宮が伊勢神宮へ行くに際して 「九月一日より三十日まで、京畿内、伊勢、近江、等の国、北辰に奉灯し、哀を挙げ、葬を改むる」 ことを禁じた。
なお、
1811年、伊勢神宮の私幣禁断は解かれたが、北極星および北斗七星の祭祀解禁の時期は不明である。
(引用終了)
中国道教の影響で、北極星の光芒を紫色とし、
天皇大帝の宮殿は「紫」と関連づけられ、
紫が最高に神聖な色とされたという。
これは、古代地中海世界・オリエント世界において、
アッキ貝から採れる貴重な染料だった「ロイヤルパープル」が、
皇帝色として権力者たちに独占された経緯を思い起こさせる。
古代地中海文明から発祥した貝紫(ロイヤルパープル)は、
フェニキアの航海術とともに、
フェニックス(炎から再生する鳥)、
フェニックス(ナツメヤシの樹、その実の色の赤紫)
など、さまざまなシンボルを取り込みつつ、
天文の知識や神々の物語とともに、
ときに海をわたり、砂漠を越え、シルクロード経由で
聖なる紫の光芒を放つ北極星(ロイヤルパープルの衣をまとった天の王)
のイメージへと統合されたのではないだろうか。
たとえば、貝紫・神の像・物語・暦・星図・生命の果実など
聖なるイメージを重ねづけするほど、
交易品の価値はあがり、伝播しやすくなるだろう。
古事記編纂の天武天皇の時代よりも古く、飛鳥時代に日本へと伝来した
「伎楽」の主役「呉公」が、
ロイヤルパープルの衣をまとい、
笛や扇を手にし(風神の面影)、
怪鳥カルラ(ガルーダ)を従えていること。
その「呉公」と、後代の「古事記スサノヲ神話」にも
文献上で執筆者による関連付けの意識がみられること。
(スサノヲの頭に巣くうムカデ=呉公と記述)
などから、
天武天皇以降の流れとして朝廷による公式信仰となった
伊勢神宮の「北辰信仰」の最古の源流は、
いろいろに錯綜してはいるけれども、
古代オリエントの主神エンリルであるように思われる。
北天を司り、風を操り、霊鳥を従える。
その姿は、日本では仏教と習合した「毘沙門天」にも受け継がれる。
また、以下は北辰信仰を、
アマテラスよりも先に登場する神として、
「アメノミナカヌシ」と結びつけた説。
天体観望支援ボランティア”黄華堂”さんHPより
天之御中主命(アメノミナカヌシノミコト)という神様の名前を聞いたことがあ りますか?
なんか長くてややこしいですね…。
しかし、あの有名な天照大神(アマテラスオオカミ)よりも先に登場する神様なのです。
天之御中主は宇宙を作った神様とされていますが
現代では妙見菩薩信仰(北極星を神格化した菩薩)と合わさり
北極星の神とされています。
つまり、やはり日本でも中国と同様北極星を神格化した神は神話の中心となって おり、
動かない星である北極星が人にとってどれだけ不思議なものだったのかを物語っています。
(引用終了)
朝廷と伊勢神宮によって公式に独占される以前から、
北辰信仰は、民間に深く根づいていたのだろう。
天の北極星と地の水源とを結ぶ天地の軸が
「宇宙樹」と呼ばれるシンボリズムであり、
古代神話の鋳型として、世界各地に広く伝承されている。
たとえば、「アメノミハシラ」「クニノミハシラ」とも呼ばれる
「シナツヒコ」「シナツヒメ」という風神について考えてみる。
「ミハシラ」は、宇宙樹のシンボリズムである。
シナツヒコは風の神であるが、古事記などの文献や伝承では
女神の吐息である朝霧や、
白髪の豊穣神である「タツタヒコ」の面影とも重ねられ、
白く清涼な輝きをそのイメージとしているので、
風神エンリルの息子「月神シン(ナンナ)」を思い起こさせる。
月神シンは、豊穣神であり暦の神であり、航海の守護神、死と再生の神秘の神。
ときにはエンリル同様に大気の神でもあった。
そして金星神である大女神イナンナと、太陽神ウトゥの父である。
シンの聖数は、30。
ふと「三重の国」はシンの国だったのでは、という幻想がよぎる。
伊勢は、海人たちの地である。
船乗りには、星図や暦、風を読む知識が必須であっただろう。
大和朝廷が公式に祭祀の対象とするより先に、
三重の民が、古来の渡来神を祀っていたとしても不思議ではない。
古事記のヤマトタケル神話では、
瀕死のヤマトタケルが「足が三重にまがり、もう歩けない」と
嘆いたことから、その地を三重と呼ぶ、と説明される地名だ。
そんな呪詛のような地名由来だったのだろうか。
ありえない。
古来よりの地名なら、きっとその地の民の思いを映している。
以下リンクは、「伊勢は風の通り道」という生活実感をもとに
綴られたブロガーさんの記事。
在来の風神シナツヒコに触れている。
「伊勢の国津神は神風という思い」
アマテラスの太陽神信仰より古い在来の信仰を思わせる、三重の地である。
また、どこかしら古代エジプトの大女神
イシスの名を彷彿とさせる
イセの地でもある。
エジプトの大地母神イシスは、
メソポタミアのイナンナやイシュタルと同根の女神であり、
月神シンの娘がイナンナだった。
再生や慈雨・ナツメヤシなど、多くの共通するシンボルで
結ばれている大地母神のイメージである。
火から再生するフェニックス。
古代地中海や古代オリエントにまでさかのぼる
「火に投げ入れられる神像や樹木の柱」。
それらを彷彿とさせる「火祭り」も
伝承されている伊勢の地である。
上記リンクは、伊勢の大王崎の火祭りについて。詳述されたブログさん記事より。
上記リンクは、大王崎の火祭りについて、三重神社庁のHPより。
この火祭りのことを「トトツリアイ」と呼ぶという。
トトは、魚のこと、と。
なるほど。
「ヤマトトトヒモモソヒメ」の語の解釈で、
国語学者の大野晋は、たしかトトを蛇のこと、と論じていた。
トトヒで、飛ぶ鳥、という解釈もみかけたことがある。
いずれにしても、
ときの神の再生の儀式なのだろう。
昔、エジプトにはトトという神様もいた。
だが、火祭りにこの神の名が伝来しているとは、
さすがに飛躍がありすぎる気がする……(^ ^;
トトもまた、知識や暦、再生の神秘を司る。
古来よりの月神の系譜だろうか。
ヒヒやトキを象徴とする。
猿と鳥、これらは
ナツメヤシの豊穣儀礼にまつわり、
若くして命を落とし、またよみがえる文化英雄の象徴
として以前に考えてみたことがある。
以下は、拙ブログ記事のリンク。
また、下記リンクは、ブログさん記事より、エジプト神トトについて。
伊勢の地の、かつて大和朝廷によって禁じられた
北辰信仰について考えてみたのだが、
妄想・夢想はとりとめなく
さまようばかり。
まるで汲めども尽きぬ、若水のよう。
「シン」は、
古代メソポタミアの月の男神。
ナンナとも呼ばれた。
下記リンクは、シンについてのウィキペディアの記述。
以下、ほとんど資料もなく、
単なる私の思い付き&妄想のメモ。
月の神は、古来より世界各地で豊穣の神、暦の神、
満ち欠けを繰り返すことから死と再生の神として、
主に大地母神として信仰の対象となってきた。
母なる命の樹であるナツメヤシが、
1年に12枚の葉をつけることから、
1年12カ月に対応する月の暦と関連して、
ナツメヤシや月をシンボルとするオリエントの大女神には、
ニンリルやイナンナ、イシュタル(エジプトではイシス)の系譜がある。
彼女らは、月光神というよりは、
月や金星もその属性の一部として取り込んでいるような、
母なる豊穣の大女神だった。
そして、そんな女神の系譜とは別に、
古代メソポタミアの都市ウルでは、
月の神ナンナ(シン)は、都市の主神であり男性神だった。
この月神は、
シュメール神話を取り入れた後代のバビロニア神話の記述では、
若き風の神エンリルと、水浴中の乙女ニンリルとの子とされている。
ニンリルを強姦した罪で冥界に追放された青年エンリルを追って、
乙女ニンリルが冥界にくだり、
そこで産み落としたのが月神ナンナ(シン)であり、
エンリルとニンリルは冥界を脱出するために、
新たに冥界に3人の子を産み、身代わりにそこに残し、
エンリル・ニンリル・ナンナ(シン)親子3人そろって
地上によみがえった、という。
そして、月神ナンナ(シン)の子が、
太陽神ウトゥと金星女神イナンナとされる。
風神 → 月神 → 太陽神・金星神
という順番で、親子関係を結んでいるのが、面白い神話だ。
古代のオリエント世界では、太陽神より風神や月神がまず信仰された。
熱砂の乾燥地帯での生活実感を反映しているのだろう。
で、シン。
三日月や牡牛の角をシンボルマークとし、
長いひげを生やした知恵深い老人、の姿の神。
ジグラド(神殿)で天体観測&暦を計算し、未来を知る。
シンを象徴する数は、30。
というのが、古代メソポタミアの月神のイメージだという。
で、シン=三日月などの象意から、以下は連想。
まったくの連想。(^ ^;
シナイ山・・・月の山。
シナ(チャイナ)・・・月のように白く輝く陶器。その陶器を産する地。
秦(シン)・・・月神を祖とする人々の国。
津(シン)・・・にじむように広がる水、闇にこぼれる月光のように。渡し=三日月の舟からの連想か。例、三重県津市は30(シンの象徴数)の国のシンの街。
しんしん・・・月光のように静かに、白く、時の神秘を漂わせて。
しぬ・・・シンのもとへ行くこと。
シナノ(信濃)・・・シンを奉ずる人々の地。
しなう・・・三日月のような弓型曲線を描く。
しなびる・・・月が細くなり、豊穣の月光の恵みをうしなうような状態。
ほんとに、まったくの連想……(^ ^;
シンと名前が似ている「シナツヒコ」はたんなる風の神?
ちょっとした疑問……そして、
どんな辞書にも答えは載っていない。
シナツヒコは、風の神。
朝霧を吹き払う女神の吐息から生まれた。
白い朝霧。こぼれる吐息。
しなやかな風。
白く輝く、シナやかに……夜明けの三日月の淡い光のように。
タツタヒコは、白髪の老人。
タツタ揚げは、白い衣。モミジ揚げともいう。
竜田川の白い水流をイメージしている、と。
月光のように白い水流、
シンはナツメヤシの葉の輪を持つ、ナツメヤシの葉は再生と暦を象徴。
モミジやカエデの葉は、風神の息吹と季節の移ろいを象徴。
楓(カエデ)の葉は、龍田大社の神紋。
風の神は、山の神。
風は山から吹き下ろしたり、山にさえぎられたりする。
訪れる神と水浴する乙女。
山から下りる神。木に宿り、水面の月影とともに再生する。
不思議にエンリルとニンリルとシンの神話にも
どこかしら通じるかもしれない、日本の祭儀。
以下は、「しなてる」という枕詞の例。
聖徳太子と、行き倒れの餓えた人との出会いと、
その不思議なよみがえりを匂わせる後日譚。
「しなてる」が、ふりそそぐ月光を表し、
再生の神秘を司る月神の恵みのもとでの出来事、
というイメージを下敷きに読むと、意味が伝わりやすくなる。
また、紫式部「源氏物語」第四八帖「早蕨」に登場する和歌から。
しなてるやにほの湖に 漕 (こ ) ぐ船の
真帆 (まほ ) ならねども相見しものを
「にほの湖」は、「カイツブリの湖」で琵琶湖のことだそうだ。
「しなてるや」を三日月が照らす情景と読めば、
船にかかる三日月の帆、
または水面に輝く幻の三日月の帆、
というイメージが浮かび上がり、とてもわかりやすい。
「水浴する乙女と訪れる神」という古代祭儀のイメージまで、
にほ(カイツブリ)の湖という語からは汲み取れて、
どこか神秘的な恋歌となっている。
など、「シナ」の語を
三日月や白い光に象徴される月神の意で読むと、
難解だったはずの解釈が、いともすんなり了解できる。
日の神の影にかくれて
忘れられてしまったけれども、
古代オリエント世界から遠く離れた現代の日本でも、
いにしえの月神の面影、その伝播の痕跡は残されていて、
たとえば「シナツヒコ」という
記紀神話では「目立たない風神」であるはずの神様が、
疫病の流行や元寇、第二次世界大戦といった
国難の際には思い出されて祈りの対象となった歴史がある。
それは、
日本に文書化されて残っている渡来文化よりさらに以前の、
この島国の風土に根付き、伝統に沁みこんだ文化の鋳型として、
その神の由来がとても深くて古いことに
起因しているのではないか、と
風の神・月の神に、とおく思いを馳せてみる。
が、その答えは、朝霧や月影のように
淡くおぼろげで、つかみどころなく、
それでいて包み込むように、広く果てがない。
まるで、月光が紡ぐ白銀の織物のように、
あるいは結末のない暦や書物のように。
行く雲や流れる水のように。