ここのところ、迷宮にはまっている。
おぼろげにイメージは浮かぶけれど、
それを言葉で考えようとすると
もつれた糸玉状態に……(;'∀')
こんがらがってる要素を並べると、
その1として、
熱田神宮
村雲町
石仏町
金山
尾頭(古称うとう)
内々神社(うつつじんじゃ)
といった地名・スポットの類……
ヤマトタケル伝説に近しい地名が
色々……尾張地方にありますね。(;'∀')
そして剣にまつわる伝説。
中世には尾張鍛冶の発祥の地として栄え、
刀のツバを熱田神宮に奉納していた「金山」の地。
聖徳太子の使者の皇子が、山賊に殺されたという
不穏な言い伝えが残る「石仏」の地。
ヤマトとは和して同ぜずの気配も漂う、古代の尾張。
それから、かなり飛躍するけど
「ウトゥ」って、メソポタミアの太陽神。
前から気になっていたけれど、
ウツクシイとかウツツとか
ウツシヨ、ウツスなどの言葉、
宇都宮(ウツノミヤ)といった地名、
はるか古代に大陸から伝播していた
太陽神「ウトゥ」の名残りだったりして……
宇都宮市の周辺(鹿沼市)にある
古峯神社は、ヤマトタケルが祀られ、
コブガハラ様とも呼ばれる。
メソポタミアの太陽の男神ウトゥは、古来は
蜘蛛の3姉妹の女神だったともいう。
(運命の織姫の3姉妹っぽかったのかしらん)
コブは、九州地方では蜘蛛(クモ)の古名。
太陽神「ウトゥ」を想起させる地名とクモ、
ヤマトタケル伝説がなぜかセットになる。
「アメノムラクモノツルギ」を想起させる名古屋の村雲町。
「クモ」の語が含まれる。
熱田神宮のそばに残る地名「尾頭」の古称は「うとう」。
尾張の一宮市の「内々(うつつ)神社」は、
ヤマトタケルが義兄弟の
タケイナダネの水死を悲しんで創建したという。
日本列島には古来、
太陽神「ウトゥ」への信仰が伝播しており、
その後に別の太陽信仰が上書きされたのではないか、
ヤマトタケル伝説はその神々の狭間にあるのでは?
という、妄想……(;'∀')
ヤマトタケルの父である景行天皇には、
「九州へ遠征して土蜘蛛の一族を討った」
という伝説が残る。
その2として、
道教を信仰していた天武天皇、
その後代に編纂された古事記・日本書記、
それら朝廷文書に記録された
景行天皇
ヤマトタケル
タケイナダネ
ミヤズヒメ
といった神話伝説のヒーロー・ヒロイン……
どこかしら、大陸由来の英雄伝説を想起させる。
なんとなく、ヤマトタケル=軍神である明けの星・金星神(白鳥シンボル)とか
タケイナダネ=豊穣神・死んで水に漂い、木に流れ着く太陽神オシリス
ミヤズヒメ=断夫山古墳など「永遠の乙女で母なるイシス」や月神アルテミス
なんというか、異国っぽい。
土くさくない。
地名の由来譚や、タブーを伴う登場人物の行為、呪術的な展開などの
描き方が、どこかしら上から目線で理屈っぽい。
まるでエジプトの古来よりの農民の信仰を語りつつも、
その生活を軽蔑し、より象徴的な秘儀を礼賛し、知性や理性を説く
ギリシア神官プルタルコスみたいだ。そんな目線……
エジプトの神「オシリスとイシスの秘儀」を記した紀元1世紀のギリシア人。
秘儀宗教は、紀元前3世紀から紀元3世紀頃まで、
ギリシア・ローマ・エジプト・地中海世界で大流行した。
星座・恒星・黄道・惑星などへの信仰も含んでいた。
死と再生に関する密儀を伝えていた。
中国大陸では、たぶん道教・陰陽道などの形で隆盛した。
7世紀の日本で、天武天皇は、道教の影響を強く受けた。
その時代以降の権力者の遺跡には、たとえば
キトラ古墳の天井に天文図の壁画が残されている。
3世紀以降、ローマでキリスト教が国教となり、
絶大な権力をもって異教を排斥した。
その圧力を逃れた地中海文明の継承者たちが、
シルクロードを通って中国へ移ってきても不思議ではない。
彼らの密儀宗教の流れが、やがて日本に
最先端の知識として影響を与えたとしたらどうだろう。
ヤマトタケル伝説は、土着の呪術的な信仰を
異国の密儀宗教や神話の色彩で塗り直した、そんな文学だとしたら?
天武天皇より後の時代に編纂された
「古事記」において、
ヤマトタケルは、蛮族の英雄の面影を残しつつ、
朝廷に従う悲しみを背負っている。
物語としては綺麗に「悲劇の英雄」でまとまっている。
ときには抵抗勢力だった、先住する人々の土着の信仰を
ヤマトタケル伝説で
綺麗にまとめて丸めてぶっちぎった感じ……?(;'∀')
その3として、
古事記の物語中の
天皇や豪族の名前が
帯日子(タラシヒコ)
ってのを眺めていたら、
なぜかうっかり
「黄道帯の太陽の子」って
読めてしまった……
ヤマトタケルの父王の景行天皇は、
古事記では、
「大帯日子淤斯呂和氣(オオタラシヒコオシロワケ)」と
その名を記されているのだけれども、
大きな黄道の太陽の子のオシリス(ウシル)の分霊、
ってうっかり目の錯覚で
読めてしまった……妄想も極まれり。(;'∀')
下記はウィキペディアの「景行天皇」についての
記述より。
景行天皇(けいこうてんのう、垂仁天皇17年 - 景行天皇60年
11月7日)は、『
古事記』『
日本書紀』に記される第12代
天皇(在位:景行天皇元年
7月11日 - 同60年11月7日)。和風
諡号は
大足彦忍代別天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)・大帯日子淤斯呂和氣天皇(
古事記)。
常陸風土記には大足日足天皇。
播磨風土記には大帯日子天皇、大帯日古天皇、大帯比古天皇。
日本武尊(やまとたけるのみこと)の父。
「タラシヒコ」という称号は12代景行・13代成務・14代仲哀の3天皇が持ち、時代が下って7世紀前半に在位したことが確実な34代
舒明・35代
皇極(37代斉明)の両天皇も同じ称号をもつことから、タラシヒコの称号は7世紀前半のものであるとして、12,13,14代の称号は後世の造作と考える説があり、景行天皇の実在性には疑問が出されている。
記紀の記事は多くが日本武尊(やまとたける)の物語で占められ、残るのは帝紀部分のみになり史実性には疑いが持たれるものの、実在を仮定すれば、その年代は
4世紀前半かと考えられている。
景行天皇の「景」って、
そういえば「景教」を連想させる。
「景教」とは、
ネストリウス派のキリスト教のことで、
やっぱりローマのキリスト教から異端として
排斥された一派。もしかして、
だから中国にまで信徒が移住してきたのかな……(;^_^
キリスト教に排斥された
ヘレニズム世界の知識の体系は、
黄道12宮を用いたホロスコープや、
月・太陽や惑星の暦などに基づき、
天上と地上とが照応する世界観を持っていた。
なかでも太陽は重要視された。
黄道とは、太陽の通り道。
黄道帯は、獣帯とも呼ばれ12宮に分割されて、
中国では、十干十二支の暦・世界観へとアレンジされた。
景行天皇の
「帯」を「黄道帯」とみなす記事はないものかと、
ネットで検索したら、
下記のホームページが見つかった。
膨大な内容……(;'∀')
パーリ語(サンスクリット語の庶民版)と
漢字と
英語的ニュアンスとでもって、
日本語の由来を考察している。
そして、タラシ(帯、足)は、
獣帯・星の運行をあらわす表現だと指摘。
同じことを考える方がいらっしゃってうれしい。(*^-^*)
(でも、あまりに膨大な内容なので、
少しずつ読んで参考にしてみたいです…)
北山嘉 氏
「日本書記および万葉集と南方仏教経典との比較研究」