こちら、ドワーフ・プラネット ( Yahoo!ブログより )
ファンタジーや神話、子どもの本について等、
のんびり書き記したブログのアーカイブです。
月曜から日曜まで、『日常』は、太陽系の7惑星。
そのはざまに浮かぶ、『矮惑星』のような、
夢見がちな時間の記録として。
ホームページ「黎明のほのかな翼」
も、どうぞよろしく☆
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MONTHLY: 2016/02
TITLE: 久しぶりに、折紙サイクロン
CATEGORY: アニメ・まんが雑記
DATE: 02/29/2016 13:36:22
久しぶりに、折紙サイクロン。 近未来アニメ「タイガー&バニー」のキャラクターです。
この週末は、滞っていた息子の高校父母会のお仕事を、 一気呵成にバタバタバタ……と。 今は携帯メールがあるから便利だなぁ…… およそ段取りついた辺りで、 ゾクゾク寒気と頭痛ジワジワ…… いや~ん、息子のインフルエンザが今頃うつったかな? と、一瞬心配になりましたが、 半日でおさまり、ホッとため息。 携帯メールをポチポチ、ポチポチと打っているうちに、 肩こりしたのかも。
今朝も、高校父母会の連絡事でメール。 一段落したら、ボ~ッとしてきました。
PTAっぽい活動は久しぶりなんで、 なんだか自分が分身したような妙な感覚。 いや、つい数年前までは、毎日のように 学校がらみのボランティア活動とか 地域の子供会のお仕事で出歩いていたけれども。 我が子がそこそこ大きくなったから、 そちら方面の活動からは解放されてた昨今。 もう、今度の役員が最後のお勤めだぁ、ラスト!ファイト!
そうして、幼稚園バイトの「預かり保育」も 今年度ラストスパート。残すところあと10回。 教育実習生さんだって、10日はがんばる。 もう、そんな気分で、日々初心、無事故&無病息災。
こういう気分のときは 「折紙サイクロンくん」召喚です。 万事に自信がないけど頑張り屋さんな 彼のキャラクターが大好きなんですが、 そんな折紙くんにあやかって、 わたしも早春のバタバタを乗り切ろう…… 精進、精進……
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TITLE: 現在・過去・未来
CATEGORY: 「黎明のほのかな翼」日記
DATE: 02/27/2016 01:18:03
以前書いたファンタジーの創作メモを 引っ張りだして、読んでみた。 一生懸命書いたストーリーそのものより 今となっては創作メモの方が面白いかも……
もうかれこれ7年ほども経つというのに、 あの3.11の震災があったというのに、 なんだかまるきり興味の方向性が変わっていない。 そんな自分は、もしかしたら社会に対して 関心が薄かったり、冷淡なのかもしれない……
現在・過去・未来 への問いかけ。 神話的な時間への これといって答えのない問い……
いや、答えはある。 老いた女神(欠けゆく月)、麗しい女神(満月)、可憐な女神(新月)、だ。 三相女神についての問いならば、 一番大きな魚とは、つまり満月。
「神の池で泳ぐ三匹のうち一番大きな魚」は、満月のこと。 きっとそう。 現在・過去・未来の中で、 選ぶべきなのは、 つねに現在、なのかもしれない。
ほかの誰かに向かっては、 「未来を選ぶように」と口走る自分。 それは無責任なきれいごとなのだろうか。 わからない、半分は本気で言っている。 あとの半分は、未来なんてわからない、と投げている。
最近、身の回りで、 「現在が大切だ」と熱く語る人また人に出会う。 鏡に映されたように、 私は今を生きているかと 問い直してみる……と なんだかイカサマ師な気分になってくる。
そういえば、ゆうべの月は、まるくて大きかった。 なにか願い事をしてみてもよかった。
ほんとの自分の心に気がつくのは新月の夜、と むかしどこかで読んだせいで、 新月(未来)が好きだけれども…… 成就を願うのなら、正攻法は満月なのだろう、きっと。
今を生きてみな、と月がいう。(^^♪
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TITLE: シタールはカボチャで作る楽器
CATEGORY: 「十番目の王子」日記
DATE: 02/24/2016 18:49:57
インドのシタールは カボチャの実をくりぬいて作る楽器 と聞いたことがあるけれど、 まるで魔法のような音色。
癒されまする……(^^♪
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TITLE: 北天の星を司る神エンリル
CATEGORY: 神話雑記
DATE: 02/18/2016 13:54:59
いろいろモヤモヤしていて、 パソコンでポチポチ検索したり、 facebook や youtube 眺めながら ボ~ッと無駄に時間が流れていく。 神さまの系譜のスケールが大きすぎて、 消化不良気味…… 今さらだけれども、 エンリルって、偉い神さまだったんだ……?
上記は、古代メソポタミアの暦と天体観測と神様についてのリンク。 わかりやすい!
約5000年前の、古代メソポタミアのシュメールでは、 月の観測から太陰暦が用いられていた。
約4000年前シュメールにとってかわった 古代バビロニアでは、 月食と王国の運命を関連づける「占星術の記録」が残されていた。 金星の観測記録、天を区切る星座の配置。 天文学と占星術の起源は、バビロニアの粘土板に刻まれている。 そこに描かれている宇宙観は、 赤道帯の星々を司るアヌ(天の神) 赤道帯より北の空の星々(12星座)を司るエンリル(風の神) 赤道帯より南の空の星々(12星座)を司るエンキ(水の神) であった、という。
実際どんな星図だったのか、図解されないと正直ピンとこないのだが、 ひとつはっきりわかったことは、 エンリルが「北の夜空の星と関連づけられる神」だった、 ということで、しかもその起源はバビロニア つまり「世界最古の占星術」にさかのぼる。
毘沙門天は、 インドのヒンドゥ教・仏教や、中国仏教・道教が習合した神らしい。 北方を守護する神とされ、 日本では密教や妙見信仰(北極星・北斗七星への信仰)とも 結びついている。 北の夜空の神、不動の北極星(天地の軸)を示す神。 であるなら毘沙門天の源流、星辰信仰の彼方に、 古代オリエントの主神エンリルのイメージがあったとしても、 なんら不思議ではない。 古代オリエント発祥の暦や天文知識とともに、 古代神のイメージが各地域ごとに翻訳されつつ 伝播していったのだろうから。
インドのヒンドゥ教三大神のヴィシュヌ。 怪鳥ガルーダを乗り物とし、 蓮の花の女神ラクシュミー(吉祥天)を妻とする。 吉祥天は、毘沙門天の妻とされるから、 同じ女神を妻とする点において ヴィシュヌと毘沙門天は、類似性の高い神様だろうと思われる。
インド神話で北極星が登場するのは、 やはりヴィシュヌ神の物語である。 以下リンクは、ドルヴァ(インドの北極星)の神話について。
日本では、飛鳥・奈良時代に 大陸から輸入した文化のひとつ「伎楽」において、 「呉公」という 迦楼羅(カルラ=ガルーダ=ヴィシュヌに従う怪鳥)を伴う 貴公子の面影が伝えられていた。 迦楼羅を従えていることで、 「呉公とヴィシュヌ」は近似したイメージを持つと思われる。
「伎楽」の輸入より時代がくだった「古事記」スサノオ神話では、 「呉公」と表記してムカデを指している。 ムカデは、「信貴山の毘沙門天信仰」にみられるように、 毘沙門天の使者と認識されていたらしい。
「伎楽」伝来よりも新しい時代・王朝の産物「古事記」。 そのオオクニヌシ・スサノオ神話で、 スサノオの頭に巣くうムカデ(呉公)が描写されたということは、 偶然の符号なのだろうか。 ムカデとして描かれているスサノオの難題だが、 インド・東南アジア諸国の風習では、 ビンロウジュというヤシの樹の実を キンマの葉にくるんで噛みタバコにすると、 酩酊感や高揚感が得られるらしい。 噛む際に、口に溜まった有害物質を、 赤いツバとしてぺっぺと吐き出すのだという。 赤土とムクの実をぺっぺと吐いて スサノオを安心させたオオクニヌシは、 ビンロウの実による酩酊に惑わされず、 逆にスサノオの髪をしばって逃げ出すという 策に打って出て、「出雲の覇王となれ」という スサノオの承認を得たのではなかろうか。 ビンロウジュは、古代オリエント世界の聖樹ナツメヤシの 面影を宿した樹木ではなかろうか。 聖樹ナツメヤシを受粉させる風の神こそ、 古代メソポタミアの「北天の星の神」エンリルであり、 ナツメヤシは、天地の軸を定める宇宙樹であったことだろう。
毘沙門天 ~ ヴィシュヌ ~ 呉公 ~ スサノオ といったイメージの連鎖が、 各地・各時代ゆるやかに意識されているように思われる。 その連鎖の源流には、 風の神・嵐の神であり、天則の神でもある 古代オリエント世界の主神エンリルのイメージが、 見えつ隠れつ宿っている、 どうやらそうに違いない…… そんな気がしてならないのだが、 あまりにも水脈が深く広すぎて、 考えるたびに神話や物語の迷宮にはまっていく。
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TITLE: 呉公はムカデ。スサノオの頭に棲んでる。
CATEGORY: 神話雑記
DATE: 02/17/2016 12:46:00
伎楽の主役「呉公」。 「呉公」には、ビシュヌ神(毘沙門天)を通じて 遠くオリエントの風神エンリルの面影が宿る。
で、「呉公」をネット検索すると、 古事記のスサノオ神話がヒットする。
大国主命が若かったときに、 スサノオの難題を次々にクリアして 「我が娘スセリビメを嫁にして、出雲の覇王となれ」と ついにはスサノオの承認を得る物語。 「呉公」は、「蜂とムカデの部屋」や 「スサノオの頭に棲んでるムカデ」の、 漢字表記として使われる語だった。
「呉公」=ムカデ。 ああ、また毘沙門天だ。 古来日本では、「ムカデは毘沙門天の使い」と伝承されている。
「ミトラ神」に関する神話雑記
上記リンクは、 ムカデと毘沙門天(ヴィシュヌ~ミトラ神由来?)などについて、 あれこれ妄想・夢想した、私自身の雑記。
そして、 大国主命が、スサノオの頭に巣くうムカデを退治すると見せかけ、 口に含んだ赤土と椋(ムク)の実をぺっぺと吐き出し、 それをムカデを噛み殺し退治していると思ったスサノオは 「かわいいやつだ」と眠ってしまうエピソード。
これ、ビンロウジュの実と石灰とキンマの葉の 「噛みタバコ」の風習が、 インド・東南アジア諸国では、今でもあるというのです。
ビンロウジュって、ヤシの樹。 オリエントの聖樹ナツメヤシに、よく似た姿です。
そして、ビンロウジュに似た「ビロウ」は、 日本皇室の古来からの聖樹なのだそうです。
ビロウの葉が扇に似ていることから、 風に関する呪具との関連も……
エンリル~ビシュヌ~毘沙門天~スサノオ の系譜、なんてものが あるのかしらん?
ココロモチ茫洋……
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TITLE: One night (加賀谷玲)
CATEGORY: メルヘン雑記
DATE: 02/12/2016 13:12:47
全天周プラネタリウム番組「銀河鉄道の夜」挿入歌。 作曲家自身による初音ミクバージョン。 もちろん原曲の女性ボーカル版はとても素敵。 でも、ちょっとたどたどしく舌足らずな 初音ミク版の突き抜けた透明感は、不思議な魅力。
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TITLE: 閑話休題その2(♪ファラオの王座)
CATEGORY: アニメ・まんが雑記
DATE: 02/10/2016 22:18:36
PHARAOHS THRONE~!
レディガガ「テレフォン」のパロディ、 「ファラオの王座~」というタイトルの動画。 日本アニメ「遊戯王DM」の画像コラージュで作られているが、 作者は、英語圏の男性らしい。
英語で何を歌っているのか、よく聞き取れないのがトホホ。 ファラオの王座を狙う「この野郎」な乱入者を打ちのめして、 「これも仕事のうちさ」とのたまう王様? デュエルだのシーズン4だの歌っている模様? 何かろくでもない歌詞かもしれないけれども、 ガガさま替え歌&遊戯王の取り合わせが面白くて、つい観てしまう(汗
ガガさま御本尊が、幾重にも虚像を結ぶ「誰?」な人。 そのガガさまの「超わるいPV」と比べると、なんだかホッとする遊戯王パロディ。 歌だけ聞く分には、「電話かけてこないで」の意味にとれる歌詞が、 映像つきだと「良心の呼び声に耳ふさぎたいのよ」と聞こえてくるガガさまソング。 なんだかお坊さんの読経みたいな曲調だな~と思っていたけれど、 こうしたパロディで、男性の声&意味不明な歌詞を聞いていると、 ますます「お経」っぽい……ロックのリズムは木魚の響き。
もはや「遊戯王」でもなく「ガガさま」でもない 「ファラオの王座~♪」 けったいな外人さんや、どないなお顔で歌ったり画像コラージュしはったん? なんやしらん不思議な情熱つたわってきますで?
この動画を鑑賞するたび、たぶん古代からずっと、 遠い国の神様やら経典やら様式やら諸々の伝播ってのは、 こんな感じ(基本的に妙ちきりんなことがいっぱい) だったのだろうなあ、と、どうでもよい感慨にふけったりしている……(笑)
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TITLE: 閑話休題(♪渇いた叫び)
CATEGORY: 神話雑記
DATE: 02/10/2016 12:13:43
遊戯王断ち(BGMだけでもせめて)してたはずなんだけれども…… 「アニメ遊戯王」主題歌の中では、「渇いた叫び」が好きかな。 爽やか~(^^♪「これアニソンですっ♪」て感じがいさぎよい。 初期作品のこの曲だけ、DMシリーズのCDアルバムに入ってなくて残念無念。
ファンの方がUPした動画、イラストに萌えだの愛だのにじんでます……かわいい。
二重の面を持つ「武藤遊戯」のキャラクター、 神話的に考えれば、古代の金星神かな…… 惑星はひとつなんだけど、宵の明星(平安の神)・明けの明星(戦いの神)の双子というキャラクター。 軍神だったり文化英雄だったりする。
タマル(アシェラ、イシュタル)の 夫または双子または息子のタンムズ(シャヘル、アッタル)。 タンムズは年ごとに「冥界くだりと再生」を繰り返す若い神。 タマルは、ナツメヤシの実をも表す、豊穣女神。
オリエントのタマルとタンムズが、 エジプトではイシスとオシリスになる。
エジプトの新年の豊穣儀礼では、 雨期(ナイル河の氾濫)を告げる目安が、日の出に重なるシリウスだったため、 イシスとオシリスは恒星シリウス(慈雨の神)に結びつく。 太陽王であると同時に冥界の王、という複雑なキャラクターが、 各地の豊穣儀礼や天体への信仰の中で、洗練されていく。
遊戯王の主人公「武藤遊戯」は、 若き太陽王の冥界くだり、軍神的性格と柔和な性格を二重に持つ、 主題歌にあるように「渇いた叫び」に再生の息吹でもって応える、 といった点で、古代の双子の金星神の流れを汲んでいるように思われる。
なんてね……なに見ても、神話に見える。 キャンベル博士の「千の顔をもつ英雄」読むと、その傾向が加速されて困る……
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TITLE: なんだか気になる伎楽
CATEGORY: 神話雑記
DATE: 02/08/2016 12:02:48
以前からパラ読み状態の本(モチロンちゃんと読み切ってない)
「日本古典芸能史」 (今岡謙太郎 著、武蔵野美術大学出版局、2008.4.1発行、2008.7.31二刷)
パラ読みしつつ、なんとなく気になったのが 「伎楽」という古典芸能。 飛鳥・奈良時代に朝廷によって輸入され、鎌倉時代には途絶えてしまったという 仮面劇。 民間に残る伎楽の面影は、「獅子舞」。 その起源は古く、謎めいていて、シルクロードの香りがする……という。
気になる。 魅かれる。 観てみたい。
紹介サイトの動画をみるかぎり、 主人公(?)の「呉公」がまとう衣装は、緋色や赤紫。 地中海沿岸では「皇帝色」とされた 当時としては貴重な染料を使った高貴な布。この配色、偶然とは思えない。
本やネットの資料を探して読むと、 「呉公は笛を吹く、扇を持っている」キャラクターらしいので、 いわんとすることはおそらく「風神系の王様」。 そして、ガルーダ転じた「迦楼羅(カルラ)」を味方につけていて、 獅子舞を思わせる「獅子」をてなづけている。 ガルーダは、インド神話の怪鳥で、ヒンドゥ教の三大神ヴィシュヌの乗り物とされる。 ガルーダは、中東のアンズー鳥、地中海のフェニックスにも通じるイメージだ。 迦楼羅(鳥)と獅子(ライオン)とを従え、赤紫の衣装をまとった 風神系の王様「呉公」。 もともとは、青緑に塗られた仮面だったというから、 インド神話であれば、シヴァやヴィシュヌだろうか。青緑に塗られる神は、 アーリア系ではないインド土着の神であることを示すのだという。
シヴァは蛇を首に巻いて牛に乗っているから、「呉公」のイメージとは異なる。 怪鳥を従え、獅子を従え、風神の面影を持っているなら……そう、 ヴィシュヌ神の面影の彼方に、遠くオリエントの風神エンリルが重なる。
なんとも雄大なイメージの旅路を感じる「伎楽」の世界観だ。
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TITLE: 蜘蛛ばあさんと、花粉と輪と、太陽の双子の息子
CATEGORY: 神話雑記
DATE: 02/07/2016 19:35:25
(アメリカ大陸の蜘蛛女神)
以下、蜘蛛女にまつわる私の夢想をまとめた神話雑記リンク。
★
以下、ジョーゼフ・キャンベル「千の顔をもつ英雄」より引用。
南西部のアメリカ先住民の間では、 こうした慈悲深い役を演じる登場人物として人気なのが、 「蜘蛛ばあさん」である。 祖母のような小柄な女性で、地面の下で暮らしている。 ナヴァホ族の「双子の軍神」は、 父である太陽神の家に行く途中、 自分たちの家を出て聖なる道をたどり始めたとたん、 この不思議な小さな老婆と出くわした。
双子は聖なる道を急いでいた。 日が沈んですぐ、ドシルナオティルの近くまできたとき、 地面から煙が立ち上っているのが見えた。 煙が立ち上るところへ行ってみると、 地下に家があって、 その家の換気口からあがっているのがわかった。 煙のせいで黒くなった梯子が穴から突き出ている。 下をのぞきこむと、老婆の姿があった。 蜘蛛ばあさんだ。 おばあさんは二人を見上げて言った。 「よく来たね、入っといで。お前たちは誰だい? どこから歩いてきたんだい?」 二人は答えずに梯子を下りて行った。 部屋に入ると、おばあさんはまた二人に尋ねた。 「二人して、どこへ行くのかい?」 「別にどこということはなくて。 ほかに行くところがないので、ここに来ました」 と二人は答えた。 おばあさんは同じことを四回尋ねたが、 四回とも答えは同じだった。 そこでおばあさんはこう言った。 「お父さんを探したいんじゃないのかい?」 「そうなんです、父の家へ行く道がわかればいいのですが」 と二人は答えた。 「そうか、お前たちのお父さん、太陽神の家までは 長くて危ない道だよ。ここからそこに行くまでは、 怪物がうじゃうじゃ棲みついている。 それにお父さんの家に着いたとしても、 お父さんは喜ばないだろう。お仕置きされるよ。 お前たちは危ないところを四カ所通らなければならない。 旅人を潰してしまう岩の地、 旅人を切り刻む葦の地、 旅人を引き裂く柱サボテンの地、 そして旅人を呑み込んでしまう煮えたぎる砂の地だ。 だが、そんな敵をおとなしくさせて、 お前たちの命を守るものを授けよう」 そうしておばあさんは二人に 「異国の神々の羽」 と呼ぶお守りを授けた。 これは命の羽(生きたワシから引き抜いた羽)二本をつけた輪と、 さらにもう一本、二人の存在を守る命の羽でできている。 それから魔法の言葉も教えた。 敵に向かって繰り返し唱えれば、 その怒りを鎮めることができるという。いわく 「花粉をもって足を抑えよ。 花粉をもって手を抑えよ。 花粉をもって頭を抑えよ。 さすれば足は花粉になり、 手は花粉になり、 体は花粉になり、 心は花粉になり、 声は花粉になり、 道は開ける。 鎮まれ*」
*花粉は、南西部のアメリカ先住民の間では 精霊のエネルギーを象徴する。 すべての儀式で頻繁に使われ、悪霊を追い払い、 人生を象徴的に表す通り道をくっきり見せる。
「千の顔をもつ英雄 新訳版(上)」108p~109p 第一部、第一章、3自然を超越した力の助け より引用。 (ジョーゼフ・キャンベル 斎藤静代訳 ハヤカワ文庫 2015.12.25発行 2016.1.15二刷)
★
キャンベルの著作「千の顔をもつ英雄」を読んでいたら、 興味をひかれた神話があった。
アメリカ南西部に伝わる「蜘蛛ばあさん」については、 はるか遠くアフリカのトリックスター「蜘蛛男アナンシの妻」である 「蜘蛛女アソ」を思い起こす。
そして「花粉の呪文」については、 古代オリエント世界で重要な豊穣儀礼だった 「ナツメヤシの授粉作業」を連想する。
ナツメヤシの葉を輪にして2本の吹き流しをつけたアイテムは、 古代オリエントの豊穣女神イナンナやイシュタルのシンボルだった。 ナツメヤシの葉や、その輪は、勝利や永遠の命の象徴として、 エジプト・ギリシア・ローマ世界にまで広がっていた。
そして太陽神の息子の危険な旅。 「双子の軍神」は、 オリエントの「明けの明星で軍神でもあったアッタル」 (シャヘルと同格。宵の明星シャレムとは双子) を思い浮かべずにはいられない。 このアッタルは、一説では堕天使ルシファーのひな型と言われる。
南西部のアメリカ先住民の間で伝えられた物語が、 どこかしらアフリカ発祥の物語や、 古代オリエントの神話に似ているのは、 偶然なのだろうか。
キャンベルの著作に初めて触れた大学生の頃の自分であったなら、 おそらく各地の神話の共通項は、 ユング心理学でいうところの「原型」、 つまり人類の心が広大な無意識の領域で、 共有している夢物語だからだ、という 説明で納得していただろう。
けれども、この頃はそう思わない。 人類の祖先はアフリカ発祥で、世界各地に広がったという、 最近の遺伝子研究の成果を参考にするなら、 人類の旅とともに物語が伝播したと考える方が、より自然だ。
たとえばアメリカ大陸のナヴァホ族にとって 花粉が精霊のエネルギーを宿す重要な象徴であったなら、 きっとそれは彼らが、 「風(精霊)の力で受粉し、花が実となる」豊穣儀礼の発想を、 どういった経路でか祖先から継承してきたことの あらわれではないのだろうか。
千の顔をもつ英雄〔新訳版〕上 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)J.F.キャンベル@amazonJPから
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TITLE: 千の顔をもつ英雄
CATEGORY: 読書メモ
DATE: 02/07/2016 13:37:10
「千の顔をもつ英雄 新訳版(上)(下)」 ジョーゼフ・キャンベル 倉田真木・斎藤静代・関根光宏 訳 (ハヤカワ文庫 2015.12.25発行 2016.1.15二刷)
千種駅そばの「ちくさ正文館」で平積みされているのを目撃! うをを~!ハヤカワ文庫から出てる。 速攻でひっつかんでレジへ直行。 うをを~!1冊740円、安い! うをを~!文庫本だよ、軽い! うをを~ん! わおお~ん!
パラパラとめくってみる。 目にとまる箇所を読んでみる。 お・お……お? もう一度パラパラとめくってみる。 目にとまる箇所をよんでみる。 お……おや?
なんか、違う? なんも覚えてない…… 見知らぬ場所の地図を眺めてるみたい。 なんか、違う? よくよく見たら、 「新訳」って銘打ってある。 あ、訳が違うのか……そうか。
学生の頃に、大学の図書館で読みふけった 「千の顔をもつ英雄」は、 なんというか、こう、もっとゴツゴツした 学者さんっぽい雰囲気の文体で、 地図を頼りに洞窟探検するような、 おじいちゃんに教え諭されているような、 滋味あふるる不思議なオーラ漂わせてたっけ? 書物そのものの作りもガッシリ学術書だった。 この原文の "THE HERO WITH A THOUSAND FACES" (1949) が、 まさかあのジョージ・ルーカスに影響を与えて 「スター・ウォーズ」シリーズのシナリオの骨格になった、 とは学生時代には思い及びもしなかったが…… 一度読んだ者には、 確実に「神話的ストーリー」の鋳型を刻印する、 そんな「熱い本」であることは間違いない。 こうして出会うのは学生時代以来……なつかしい。 発行されて1カ月もたたずに二刷されている。 良い本だ、売れてほしい。 たくさんの人の手に渡るといい。
「なんだか以前読んだときと印象がまったく違う。 翻訳が違っているせいかも」 と夫に問うたら、 「それは自分が変わったからだろ」 という返事。 そうかな……そうだろうか? ほんとに翻訳が違うんですけど。 なんだかテンポよくて文章が短いんですけど。 短いけど、ぎっしり詰め込まれちゃってる感じ。 たとえばハムレットが 「生きるべきか死ぬべきか……それが問題だ」 と悩まし気に言うか、 「生か死か。それが問題だ」 ときっぱり言うかで、微妙に雰囲気が変わるよね。 翻訳の調子によって、全編の印象はかなり変わる。 「千の顔をもつ英雄 新訳版」は、 途切れぬ思索のあとをたどる学術書の魅力を捨て、 「神話世界の英雄の旅」携帯ガイドブックの役割を選んだ、 のかもしれない。 それでもいい。 こうして再び読めるなら。手元に置けるなら。 早川書房さん、ありがとう。
久しぶりに、眠くなって持っていられなくなるまで 本を読んだ。 今夜はここまで。 本を置いて眠る……そんな至福のときが戻ってきた。
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TITLE: ショウジョウ寺のタヌキばやし
CATEGORY: メルヘン雑記
DATE: 02/06/2016 14:21:36
「猩々(ショウジョウ)」について調べていて、 音が同じだから「ショウジョウジのタヌキばやし」を思い出したのだけれど、 まったく由来は異なっていました。 それにしても、證誠寺の大狸さん、なんだか可哀想…… 伝説を知ったら、明るい童謡まで切なく聴こえちゃって困る。
……和尚もつい楽しくなってしまい、自慢の三味線を持って思わず庭に出てしまう。そんな和尚を見て狸たちは「まだ驚かないのか!?」とばかりに、さらに大きく腹鼓を鳴らす。和尚も負けじと三味線で対抗し、まるで和尚と狸の音楽合戦である。 それから毎晩、和尚と狸たちは唄い踊っていたのだが4日目の晩、狸たちが一向に現れないので和尚が不思議に思っていると翌朝、庭には調子を取っていた大狸が腹を破って死んでいた。不憫に思った和尚はその大狸を懇ろに弔ってやった…… (wikipedia.「證誠寺」狸囃子伝説のあらすじより引用)
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TITLE: マルコ・ポーロの署名
CATEGORY: アニメ・まんが雑記
DATE: 02/04/2016 13:48:15
まだ夢見る10代だった頃に、よく観ていたNHKアニメ「マルコ・ポーロの冒険」。
Youtube で見つけた動画を眺めていて、ふと気になった。 この動画の中ほどに、マルコ・ポーロの署名らしき文字が映し出される。 その手書き署名の、筆頭の飾り文字が、まるで・・・
まるで、ナツメヤシの葉を模した「パルメット紋」にそっくり。 さすが、砂漠を横断したマルコ・ポーロならではの、飾り文字? それとも別の植物かな? 13世紀頃のベネツィア、あるいは周辺ヨーロッパでは、 こんな「パルメット紋(ナツメヤシ模様)」が流行っていたのだろうか。
パルメット紋といえば、 「日本の皇室の菊の紋章が、中東の古代遺跡の紋とそっくり」 と指摘するネットの声(日ユ同祖論など)をたまに見かける。 それにしても、古代中東地域に日本と同様の「菊」が咲いていたのだろうか? と、ずっと疑問だった。たぶん華やかには咲いていなかった気がする・・・ だって、砂漠の乾燥地帯だよ?
そんな疑問も、 「パルメット紋」という言葉を知って、氷解したのだった。 花のようにみえるのは、 ナツメヤシの樹の頂上部で、まるで冠か噴水のように広がっている 常緑の葉をシンボル化した紋様だった。 なるほど・・・!
ナツメヤシは、イナンナやイシュタルといった古代オリエント女神の象徴。 ゆえに、パルメット紋も、それら豊穣女神のシンボルマークだった。 なるほどなるほど・・・!!
で、マルコ・ポーロの署名・・・のパルメット紋? ・・・つくづく、この世は、謎に満ちている。
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TITLE: 猩々(ショウジョウ)の大きな手
CATEGORY: 神話雑記
DATE: 02/04/2016 13:09:17
愛知県にも「猩々」は伝承されている。 昨日は節分、豆まき。 節分の鬼のかわりに、猩々がきて、 子ども達のおしりを大きな手でたたく、 そんな伝統行事が残されている、と 愛知県在住の方のフェイスブック記事でみかけた。
私も、猩々の実演を観たことがある。 下記は、2年ほど前に猩々についてあれこれ考えたことを まとめてみたリンク。
2年前に考えていたことは、 「古代の慈雨の神」が伝播された姿=猩々では?という点。 世界的に広がりを持つ「宇宙樹」信仰。 その宇宙樹の特徴を、 「鳥(天)+豊穣女神+蛇(湧水)」 のシンボリズム、そのバリエーションとしてとらえ、 「星(天)+豊穣の精霊+海&酒(湧水)」 というイメージを組み合わせた 慈雨の豊穣神(への生贄イメージも含む)の面影が、 猩々に残されている、と夢想したのだった。
そして、いま付け加えて考えたいのは、 「宇宙樹」信仰の根底に、 「成り木責め」という呪術的な豊穣儀礼の記憶が 継承されている、という点だ。 愛知県の奥三河地方にも残っている。 JA愛知東のホームページから。
どうやら最古の例は、 古代オリエントのナツメヤシの 豊穣儀礼あたりにまで遡る。 以下は、ナツメヤシ文化について。 金沢大学の資料から。
聖書のマタイ福音書 第3章より
3:10 斧がすでに木の根もとに置かれている。 だから、良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれるのだ。
たとえば有名な聖書のこの語句も、 もともとは、ナツメヤシの豊穣儀礼かもしれない。 良い実を結ばぬなら伐ってしまうぞ、と脅す 「成り木責め」だ。 そして、豊穣を祈り 木でつくった像を火に投げ込む新年の儀式も 古代オリエントの王宮では行われていたという。
この古代からの伝統行事の延長線上に、 「良い子には贈り物、悪い子にはムチ」のサンタクロース、 「悪い子はいねがぁ?」と家々を回る秋田県の「なまはげ」なども 含まれてはこないだろうか。 「良い実を結ばぬなら伐ってしまうぞ」などの責め句で 脅して成長を促す「成り木責め」の発想であり、 脅す対象を、樹木から人間の子どもへと転換させている。
上記リンクは、兵庫大学の資料から。 「成り木責め」についての論文。 この論文では、アジアの新年の豊穣儀礼として、 新嫁の尻を子ども達がたたく例があげられている。
同様に考えれば、 猩々が秋祭りや節分の日に、 大きな赤い手で子ども達の尻をたたいたり、 頭をなでたりするのは、 子の健やかな成長を祈願する古来からの豊穣儀礼の、 世界的に大きな流れを汲んでいるのだと理解できる。
日本の愛知県にも伝えられている「猩々」が、 「古代の豊穣神の面影」 であることは、間違いない。 どのような伝播の過程をたどってきたのかは、 たとえ謎のままだったとしても。
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TITLE: 太陽・墜落する若者・天の父
CATEGORY: 神話雑記
DATE: 02/03/2016 00:45:40
「おひさまをほしがったハヌマン」という インドの大画家ラマ・チャンドランの絵本がある。
昔、インドの風神ワーユの息子ハヌマン(猿の姿)が、 キラキラ輝く太陽をつかまえようと追いかけた。 それを見とがめた雷神インドラが、稲妻を投げつけたので、 ハヌマンは死んでしまった。 息子の死を嘆き悲しんだ風神ワーユが姿をかくし、 世界の風は止まり、動植物はすべて活動を止めてしまう。 「しまった!」と思った雷神インドラは、 地底で悲しみに沈む風神ワーユを探し出し、 息子ハヌマンをよみがえらせることを約束し、 「この子は、やがて立派な神になる」と告げたので、 喜んだ風神ワーユは再び地上に戻り、 すべての生き物もよみがえった。
およそこんな内容の絵本だった。 ギリシア神話のデメテルとペルセフォネーや、 日本神話のアマテラスとスサノオの物語に、 どこか似ている。
ネットで調べると、 「ハヌマンは美味しい木の実だと思って太陽を求めた」 という説話もあるようだ。
古代中東のナツメヤシにまつわる豊穣儀礼について、 高所の収穫や授粉作業が大変なため命を落とす作業者もいて、 「大地の女神への犠牲」という象徴儀礼の下地になったのでは? という疑問を抱いているのだが、 まるで私のその疑問に答えるかのように、 インドの猿神ハヌマンは、 太陽(木の実)をとろうとして墜落死し、 のちによみがえっている。
ハヌマンは、「ラーマーヤナ」で大活躍する英雄だ。 猿の英雄といえば、中国の道教の神「斉天大聖・孫悟空」もいる。 アジアの絵本などをみると「猿の民話」は多く、 猿が英雄やトリックスターとして活躍している。 日本では、神話の猿田彦、サルカニ合戦の猿、などだろうか。 ちなみにサルカニ合戦の類話はアジア圏にいくつもあり、
カニ・カメ・カエルなどライバルは変化するが、 「木の実をめぐり、猿にとって残念な結末」という点では一致しているという。 そういえば西遊記の孫悟空は、「不老不死の桃の実」を盗み、 天界に反逆して幽閉されるが、やがて英雄として再生する。
そして、木の実というモチーフ以外に注目したいのが、 「猿=太陽神」としての側面を持つ場合もあることだ。
アジアでは、鳥や猿は天からの使いとされ、 猩々(ショウジョウ)という「猿に似た伝説上の生き物」が描かれてきた。
インド神話では、ハヌマンは太陽を追いかける。 日本の「猿神」は、「日吉神」とも呼ばれている。
ヒエガミ、またはヒヨシガミ。太陽の使いの神、だそうだ。 日光東照宮には、「三匹の猿」の像がある。 豊臣秀吉は、幼名が日吉丸、サルと呼ばれたという。 猿と太陽と王のイメージが結びついている。
一転して、ヨーロッパには野生の猿がいない。 猿が生息するための、果樹の豊富な森林がないからだ。 実をとろうとして樹から落ちる猿神もいない。 ギリシア神話の墜落する若者といえば、 イカロスとパエトーンが思い浮かぶ。
名工ダイダロスの息子イカロスは 地中海クレタ島での幽閉生活から逃れるため、 父とともに、 蝋で固めた鳥の羽根の翼で空を飛んだが、 太陽に近づきすぎて翼が燃え、海に墜落して命を落としたという。
少年パエトーンは、太陽神の父から借りた 太陽の戦車を乗りこなすことが出来ず、 天を暴走したために、雷神ゼウスの投げた稲妻によって、 地上に墜落し、命を落としたという。
命を落とす者が「偉大な父の息子」であり、 若くして天空を上昇すること、そして 命を落とす原因が、太陽・炎や稲妻そして墜落であることが、 インドのハヌマンとも共通している。
地中海沿岸の古代都市フェニキアにちなみ、 「フェニックス」の語が含まれる。
なぜナツメヤシが不死鳥フェニックスと結びつくかというと、 赤紫の実の色が、古くからとても貴重な染料だった貝紫の ロイヤルパープルとよく似ていたからだという。 貝紫は、地中海沿岸のフェニキアが産地だった。
イカロスが幽閉されたクレタ島も地中海にあり、 ナツメヤシや貝紫の産地だった。
朝焼け夕焼けの空や海を思わせる「貝染めの赤紫の布」は、 やがて皇帝色とも呼ばれ、 一部のごく高貴な身分の人々に独占されていく貴重品だった。
太陽が沈み、また昇るように、 フェニックスは寿命が尽きると炎で身を焼き、 その炎の中から、新たな翼で生まれてくるという。
日没と日の出の「空の色」。 その赤紫の輝きを宿した実が、 「フェニックス」という ナツメヤシの学名へとつながった。
フェニックスは、アジアでは鳳凰と呼ばれる。 猿と鳥とは、天の太陽の使者。 フェニックス(鳥)は、赤紫の染料と結びつく。 猩々(猿)もまた同様に、赤紫と結びつく。
「猩々緋」というのは、赤紫色のことである。 日本の猩々は、酒を持って海からくる精霊らしいが、 何千年もの昔からナツメヤシの実は酒の原料であり、 古来より地中海は交易が盛んであった。 猩々のイメージの源流は、どこからきたのか、遠い幻想に誘われる。
天をめざし、地に落ちて命を失い、 ふたたび再生するフェニックスやハヌマン。 その姿は、太陽の運行のように力強い。 地中海をはさんで西と東とで物語の違いはあるが、 樹高が高く、収穫や授粉作業に危険が伴うという、 特殊な条件を持つナツメヤシの実をめぐる古い豊穣儀礼が 長い時をかけて各地に伝播しながら、 輝く生命のイメージを織りあげていった過程ではなかろうか。
嘆きの風の声をあげる天空の父や、 憧れて指を伸ばす先の太陽や、 墜落の瞬間の稲妻や、 冥界からよみがえる若者の物語を、 何千年もかけて人々は伝え続けてきた。 海を越え、砂漠を越え、時を越え。 たぶん何よりも伝えたかったはずの、 美しい残照と曙光、その光の織り糸によって。
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