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TITLE: 熱田神宮(八百万の神)

CATEGORY: 神話雑記 DATE: 07/27/2017 18:20:04

(7月23日、熱田神宮にお参りしました)
Memo



地元の酒造組合さんからの献酒。
神社には、お神酒。



境内が広いので
あちこち案内板が設置されています。
案内板の地図を頼りに、
歩いてみたら半日がかり……



別宮。その昔、
火事で奉安所を失った草薙剣が
一時保管されていたこともあった、とか。
「八剣宮」では、ごく最近も
現代の刀工さん達が
仮の鍛冶場をつくって
日本刀※を鍛え、奉納したそうです。

※「宝物殿」の展示コーナー
「熱田神宮 技術奉納奉賛会 奉納刀剣展」
では、古代の工芸・美術とともに、
現代の匠の技による
数々の日本刀や、
玉はがね等、鉄加工の工程を解説した展示を
観ることが出来ました。(*^-^*)



八剣宮のかたわら、
「上知我麻(カミチカマ)神社」
御祭神はミヤズヒメの父、オトヨノミコト。

本宮の大境内に隣接する
独立した境内は、落ち着いた佇まい。
もとは200mほど南に鎮座していたけれど、
昭和24年、現在地に。

学問と商売繁盛の神さまで、
境内に「大国主社(大黒さま)」と
「事代主社(恵比寿さま)」があり、
お正月三日の「初えびす」は
有名なのだそうです。



熱田神宮の外苑部に鎮座、
伏見通り(国道19号)に面しています。
「下知我麻(シモチカマ)神社」
御祭神はミヤズヒメの母、マシキトベノミコト。
古くから旅行安全の神さまで、
傍らに「車祓い」の案内板もありました。

お社は森に埋もれる風情。



父神(上の社)母神(下の社)とを
配している熱田大神(熱田神宮)は、
素直に考えれば、創建由来からしても、
ミヤズヒメ(草薙剣の巫女)を主として
お祀りしていたのかな……

尾張の古代豪族の首長の娘が
巫女として主宰した古代祭祀の拠点、
それが今に続く神宮の母体になっている
のかもしれません。

祭器が剣で、
たとえば土用にちなむ何らかの祭事を
行った古代宗教の名残りが、
草薙剣の伝承なのか、な……?

悠久のときの流れの彼方……の
人の営み……('◇')~☆



本宮の外苑部に「菅原社」も。
平安時代の菅原道真公を御祭神とした
「天神さま」。
進学塾の多い名古屋です。
たくさんの絵馬が、奉納されていました。



境内の参道沿いの森の中、
いくつものお社がひっそり。
「徹(トオス)社」
御祭神は、
「熱田大神(天照大神)の和魂※」だそうです。

※対となる「荒魂」は、「一之御前神社」として
本殿の北西の森の中に鎮座。
「荒魂のお社」は、熱田神宮の聖域で撮影禁止デス。




境内の参道沿いに鎮座する
「南新宮社」
御祭神は、「スサノオノミコト」。
熱田神宮で唯一の朱塗りの社殿。

平安時代中期に疫病神への信仰が流行し、
熱田の地でも祀られたそうです。
大山祭・天王祭・祇園祭
といった例祭を行っていたが、
明治に入り、電線が通ってからは、
旗鉾を用いた祭礼が廃止された、と。

牛頭天王系の神様ですよね。
うちの近所の神社でも疫病神にちなんだ
平安時代由来の「茅の輪くぐり」をしています。
平安中期に信仰が大流行したんですね。

旗鉾って、丈高い「のぼり旗」みたいなもの?
電線に引っかかるほど高い旗鉾を担いだ
お祭りは、さぞ壮麗だったでしょうね……

あるいは電線は口実で、
神仏分離・廃仏釈の政令によって、
明治政府から「牛頭天王の祭礼」を禁止され、
スサノオを祀る神社として再編されたのかも
しれません。



中国・朝鮮半島からの渡来文化の面影が
残る朱塗りの社。
この「南新宮社」の境内に
さらに小さなお社が。



「八子社」

牛頭天王と龍女の子の「八王子」でしょうか。



「蘇民将来(ソミンショウライ)」という
不思議な言葉でも有名な「疫病神」は、
朝鮮半島ソシモリの地から渡来したスサノオ(牛頭天王)伝説
をはじめとして
遠く中東の「過ぎ越し祭」に起源を求める説など、
諸説あって、謎めいています。
渡来の暴風雨神(豊穣神)が
スサノオと習合したのでしょうか。

「曽志茂利(ソシモリ)社」


上記リンクは、ソシモリに関するWikipedia の記述です。



上記リンクは、牛頭天王に関するWikipedia の記述です。





南新宮社のさらに南、
参道沿いの森の中に鎮座。

「孫若御子(ヒコワカミコ)神社」
御祭神は、「天火明命(アメノホアカリノミコト)」

尾張氏の始祖で、
ほあかりとは、ほが赤くなるという意味で、
稲穂への尊称、と。

穂に植物霊が宿る、という信仰。
種子に生命が宿っている、
その力の源は光明であり、日月の運行である。
(エジプトのオシリス神など)
という古代人の考え方かなぁ……

明治初年に、この地に遷座。
明治初年、かぁ。
尾張氏の始祖神、でも
ちいさなお社。
これも国家神道の流れの中で?

別名は、天照国照火明命、天照玉命。



孫若御子神社の南に位置する
参道沿いの森の中に鎮座。

「日割御子(ヒサキミコ)神社」
御祭神は、「天忍穂耳尊(アメノオシホミミノミコト)」

アメノホアカリの父神。
忍穂耳は、実った稲穂が頭を垂れる様子、だとか。
稲穂の端っこ(ミミ)が垂れ下がる(忍)、の意?

古くは日破明神と呼ばれ、
江戸初期に、松江城の初代城主「堀尾吉晴」が造営。
太古、熱田神宮の地は、
水際に張り出た州崎の名残で、
干崎(ヒサキ)と呼ばれていた、と。

ヒサキの神さまで、
古来からの土地神を祀る信仰が、
江戸時代には日破明神さま。
「日割御子神社」として現在地に造営、
明神って、仏教系だよね……

もしかしたら、
明治の神仏習合で、
お隣に「孫若御子→アメノホアカリ」が引っ越してきて、
それとタイアップして父神の御名前に改名?
「日破明神→アメノオシホミミ」

そんな妄想……





境内の森には、
こんなお茶目な像も。
↑これは現代作家さんの作品。




「二十五丁橋」



下記は、熱田神宮公式HP より引用。

★ 二十五丁橋(にじゅうごちょうばし)★



名古屋市営地下鉄
神宮西駅に掲示されていた
案内図。
(*^-^*)

史跡や公園が多すぎて、
案内図の観光ポイント、まだ全部は
周りきれていません。
足が棒です……('◇')ゞ




 

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TITLE: 熱田神宮(樹霊のすむ森)

CATEGORY: 神話雑記 DATE: 07/26/2017 21:10:00


「楠御前社」
つちの神のクスノキ。
イザナギとイザナミを祀る。
縁結び、病気平癒の神。
「子宝神」「お楠さま」と称される。




一度も実をつけたことがない
不思議な梅の木。










「大楠」
その名のとおりの御神木。




大きな大きな松の木。

(*^-^*)

御神木はたくさんあったけど、
巨石信仰はみられなかった
熱田神宮です。

海が近い平野の
丘陵地帯だったので、
山岳信仰や巨石信仰は
なくて当たり前かも……





 

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TITLE: ウランガラス幻想(3)エメラルドの聖杯

CATEGORY: 神話雑記 DATE: 10/23/2016 19:13:02


緑に輝く石といえば、
古代エジプトで「太陽の石」とされた黄緑色のペリドット、
そしてヘルメスによって錬金術の奥義が刻まれ、
ピラミッドに隠されたという伝説の
「エメラルド・タブレット」が思い浮かぶ。


上記リンクは、Wikipediaによる
「エメラルド・タブレット」についての記述。




緑にかがやく「伝説の聖なるアイテム」には、
錬金術の「エメラルド・タブレット」の他にも、
アーサー王伝説で有名な「聖杯」がある。
「聖杯」とは、キリストが最後の晩餐で使った杯。
ワインを自らの血であるとして、
弟子たちと分かち合ったという。
やがて、「失われた聖杯を求め、
キャメロット城の円卓の騎士たちが、
長い苦難を伴う探求の旅に出る」という物語が、
アーサー王伝説の「主要なモチーフ」の一つとなった。

下記リンクは、Wikipediaによる「聖杯伝説」についての記述。

聖杯伝説

そして、なんと「聖杯は緑色のガラスだった」という伝承もある。
下記は、Wikipediaによる「聖杯」についての記述。

聖杯

(以下、一部抜粋)

イエスと弟子たちの最後の晩餐に使われたものと信じられている聖杯はいくつか存在する。
  1. エルサレム近くの教会にあったとされるもの
    • 7世紀ガリアの僧(Arculf)が聖地巡礼のさいに、エルサレム近くの教会でそれを見て、触れたと証言している。でできており、把っ手が2つ対向して付いていたという。現在の所在は不明。
  2. ジェノヴァ大聖堂にあるもの (sacro catino)
地中海沿岸部の「緑のガラス製品」といえば、
紀元1世紀ナポリ近郊で作られていた「ウランガラス」があった。
カイサリアの所在はよくわからないが、地中海周辺、
トルコ辺りならば、ガラス工芸の先進地域だった。
エメラルドにも似たその「聖杯」が、
もしウランガラスであったなら、面白いのだが……
朝夕の紫外線で神秘的にかがやき、
まるで日没と日の出に伴う明星のように、
豊穣の光明神(救世主)の再生の息吹を感じさせたことだろう。





豊穣の光明神の「死と再生の神話」には、
キリスト教のイエスに先立って、
エジプトのオシリス、
ギリシアのディオニュソスなどの神々がいた。

紀元1世紀頃のギリシアの神官プルタルコスによる
「エジプト神イシスとオシリスの伝説」(岩波文庫)では、
オシリスの秘儀について触れられ、
「オシリスとディオニュソスとは同じ神」だと説明している。
そして、オシリスについて、
エジプトの農夫が昔ながらの素朴な信仰によって、
地面に種を蒔きながら「オシリス様のお弔い」といって嘆き、
その種が芽吹くと「オシリス様がよみがえった」といって喜ぶ、
と書き記している。
ギリシアの神官プルタルコスとしては、
秘儀によって体得されるオシリスの本質はもっと高貴だ、
と結論付けようとするのだが、
読者である私にとっては、
古来の農民たちのオシリス信仰こそが、むしろ興味深い。
古来オシリスは、穀物の種、その種に宿る命そのものであった。
エジプトの壁画に描かれるオシリスの体が
緑色に塗られていることも、なるほど、とうなずける。

そして、古代ギリシア神官によって、
その秘儀の内容から
オシリスと同じ神であるとされた「ディオニュソス」だが、
先日に観てきた「ポンペイの壁画展」では
その姿が主要なモチーフとして、数多く描き残されていた。
ワインの産地であったナポリ近郊では、
若く美しい豊穣神ディオニュソスは、酒造の守護者であり、
葡萄の神でもあった。どこか
自らの血をワインに例えたキリストを彷彿とさせる。

そして、ディオニュソスの巫女である
うら若い乙女(マイナス)達は、
「松ぼっくりを飾り付けた杖」を手にして描かれていた。
「松は、ディオニュソスの聖樹」なのだった。
松は、冬にも緑の葉をつける常緑樹だ。
とこしえの緑。
枯れても再びよみがえる若々しい緑。
それこそが、オシリスと共通するディオニュソスの神格だろう。

新しい日の出とともに輝く緑。
そんな現象が、ときに自然界にもあらわれる。
緑閃光(グリーンフラッシュ)とよばれる現象だ。
空気のきれいな砂漠や海上、山上などで
(エジプトには古記録があるらしい)
運がよければ見ることが出来るという。
たとえば、こんな自然の奇跡が語り広められて、
「再生する緑の神」のイメージを、
より鮮明に彩ったかもしれない。


緑閃光(グリーン・フラッシュ)





キリストを処刑した槍で傷つけられた「荒れ地王」が、
治癒するためには(王国をよみがえらせるためには)、
「キリストが最後に使った杯」を探さなければならない。
その顛末を語るのが「聖杯伝説」なのだが、
元来の荒れ地の王は、
漁夫の王でもあり、
荒れ地を潤す慈雨の神でもあったことだろう。
オシリス・イシスはナイルの氾濫を司る、慈雨の神でもあった。
「聖杯伝説」は、
オシリスの豊穣性(男根)が魚に吞み込まれ失われている神話とも、
どこかで通底しているのかもしれない。
死せる神の失われた豊穣性を、
なげきの女神が大地をさまよって
種をまきつつ回復させたように、
聖杯探求の旅は、
荒れ地を潤わせ、緑の生命をよみがえらせる過程のオマージュだった。
この聖杯が、イタリアの聖堂で「緑の鉢」の姿をして
伝わっていても、不思議ではない。

下記は、Wikipediaによる「漁夫王」の記述。

漁夫王





また東洋においては、緑の石といえば、
ヒスイが多く用いられてきた。

古代日本でも、勾玉など、ヒスイが神聖な石とされてきた。
仏教系の美術展示を観ていると、
ヒスイが多用されていることに気づかされる。
アジアでは産地の関係で入手しやすかったのかもしれない。
その緑色の石に込めた願いは、
古代のエジプトやギリシア・ローマにも
通ずるものだったのだろうか。





日の出や日没の青い空、紫外線を受けて
緑色にかがやくウランガラスのイメージから、
「永遠の生命の再生の器」
「暁にかがやく緑」
といった幻想の系譜を追ってみた。

ところで、日本では、
赤子ともいうが、
嬰児(みどりご)ともいう。
下記リンクの「語源由来辞典」によれば、
大宝令によって
三歳以下の男女を「緑」と呼ぶことが
定められたのだそうだ。
その理由は、まさに
「若々しい緑の生命力」に由来するらしい。
「緑」は、若枝や新芽を示す名詞でもあった。

お祓いを受けるときに神社に納める謝金の袋には、
「御初穂料」と書く。
茅の輪くぐりの神事では、初穂料を支払い、
白い陶器の瓶に挿した榊の枝を受け取って、
緑の茅の輪をくぐり、神前にその榊の枝を供える。

「神の子」の本来の意味とは、
案外こんなニュアンスだったのかもしれない。(*^-^*)





 

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TITLE: ウランガラス幻想

CATEGORY: 神話雑記 DATE: 10/21/2016 10:35:01


ヤマトタケル伝説を調べていて
「草薙の剣がウラン製」という都市伝説に出くわし、
「なんじゃらホイ?」のついでに「ウラン」を検索。

そしたら、思いがけず、妄想の火種が燃え上がりました。
ウランって、最初はガラスの着色剤だったのね……(;´・ω・)
しかも蛍光色の……


上記リンクは、Wikipediaによる「ウラン」についての記述。
(一部抜粋)

酸化ウランの利用は紀元後79年にさかのぼる。
イタリアナポリ付近のポジリッポで製造されていたガラスには1%程度の酸化ウランが着色剤として混合されており、黄色-緑色の美しい色彩を有していた。
19世紀にこのガラス製品が再発見された時点ではウラン源としては
ボヘミアハプスブルク家直轄のヨアヒムスタールの銀鉱山に産するピッチブレンドのみが知られており、
ローマ時代のガラス職人がどこからウラン鉱石を調達したのかは今もなお謎である。

(抜粋終わり)

紀元後79年っていえば、
ヴェスヴィオ火山の噴火によって、
ポンペイや周辺の街が滅びた年ですね。

ということは、おそらくナポリ付近のポジリッポで
製造されていたガラスが紀元後79年に使われていた確証とは、
それが火山灰に埋もれた遺跡からの発掘品だったから……


下記リンクは、Wikipediaによる「ポンペイ」についての記述。


ウランで黄色ー緑の美しい色彩を発色させていたガラス。

先日に観てきた「ポンペイの壁画展」では、
壁画の絵の具の原料として、
石や貝の粉などが使われていたけれど、
同様に、ウラン鉱石の粉をガラス着色剤として使った、と。

「ポンペイの壁画展」では、
随所にエジプト文化への憧憬をみることが出来ました。
エジプトでは、黄緑色の石「ペリドット」が
「太陽の石」として尊ばれたそうですが、
もしかしたら、黄色ー緑に蛍光するガラスは、
古代イタリアでも同様なイメージで珍重されたかもしれません。



上記リンクは、Wikipediaによる「ウランガラス」についての記述。
(一部抜粋)

ウランガラスの最大の特徴として、真っ暗闇の中で紫外線ランプ(いわゆるブラックライト)で照らすと緑色に妖しく輝き蛍光を発するという点が人々を魅了してきた。似た特徴を持つ石として、含まれる不純物によって紫外線で紫色に蛍光するものがある蛍石があるが、ウランガラスは紫外線を受けると緑色に蛍光する。昔は紫外線ランプはなかったが、夜明け前の空が青色のときには空には紫外線が満ちているので、この時にウランガラスが蛍光を放つ事によりこの特徴が知られる様になった。

(抜粋終わり)


「夜明け前の空が青色のときには空には紫外線が満ちているので、この時にウランガラスが蛍光を放つ事によりこの特徴が知られる様になった。」と
Wikipediaに説明されていますが、
これは紀元後79年のイタリアにおいても知られていたのでしょうか?
ネットで検索した程度では、資料が見つからず残念です。

たとえば「夜明けに輝く緑のガラス」とか「日の出の若緑の器」とか、
そんな感じの語句が、詩や神話などの文献として
どこかに残っていれば面白いんだけどな……('◇')ゞ

似た例としての、蛍石(フローライト)。
こちらは、人工物ではなく、天然石。
中国では、夜明珠と呼ばれたという。

(夜光杯についての漢詩もありますが、
ここでいう夜光杯の素材は中国産「玉」で、
ガラスやフローライトではありません。
杯を月下にかざすと光があることから、
「夜光杯」と呼ばれたそうです)

涼州詞
葡萄美酒夜光杯、
欲飲琵琶馬上催。
酔臥沙場君莫笑、
古来征戦幾人回。



青い夜明け、ほのかな緑に輝くグラス。
銀の月光、照り映えて白く光る杯。

もしそんな器があったら、素敵……(*^-^*)
古代の人々だったら、祭祀の道具として
大切に使いそうだな……( ^^) _U~~
なんて妄想が、どこまでも広がっていきます。
エメラルドといわれて実は緑色のガラスだった聖杯とか、
サングリアルとか、シャングリラとか……
若水を汲む風習など……いろいろ。


下記リンクは、Wikipediaによる「蛍石」についての記述。

(一部抜粋)


中国医学では紫石英と呼び、鎮静・鎮咳薬として用いられるが、地方によっては紫水晶と混同される。また中国では、蛍光する蛍石を夜明珠と呼び、古くから宝物として扱われてきた。 蛍光する蛍石の中で、世界最大といわれるものは、中国雲南省で採掘されたもので、採掘後直径1.6mの球形に加工された。重量6.2トン。昼間太陽の光を蓄積し、夜間緑色から白色に燐光する。 (抜粋終わり)



 

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TITLE: 黄道の巡礼

CATEGORY: 神話雑記 DATE: 08/28/2016 13:18:45



パソコンのホロスコープ画像を
加工してみました。

宮沢賢治さんの「銀河鉄道の夜」っぽく
してみたいんだけど……
なんかイマイチ……(;^_^

プログレスは、
生まれた日を0才として、
誕生日を迎え1才ずつ加齢するごとに、
生年月日に1日ずつを足していった
ホロスコープ。
例えば10才のお誕生日のプログレスは、
生年月日から10日経った日のホロスコープ。
黄道360度を
地上の1日ずつ(太陽が360度の旅をする)に対比させ、
地上の太陽の1年を、
天上の運命(黄道の旅)の1日とみなし、
360分の1目盛りに数える。
マクロとミクロを対応させた、
一種の連想法?……象徴的なバーチャル宇宙。

人間の魂が、
自分の生まれた日の太陽を道連れに、
黄道のカニやら獅子やら乙女やらの彩る旅路を
順次たどっていく、そんな世界観だろうか。

古代には、星占いは
個人の運命を読むものではなく、
都市国家と王の未来を予測しようとする
トップシークレット級の情報だった、とか……(;^_^

個人が運命を占うようになったのは、
時代が下ってからのことだから、
プログレス法なども
新しい占いの部類に入るのだろう。
近代にアラン・レオによって唱えられたという。
こうしたジャンルはオカルトと呼ばれる。
が、古代では先進の知識体系だった。

占星術が学問とみなされた中世ヨーロッパあたりでは、
キリスト教との折り合いはどうなっていたのだろうか?

西洋占星術のホロスコープでは、
黄道360度が12宮に分けられ、
1つの宮は30度ずつ。
プログレス法の太陽は、
1年に1度進むペースだから、
もし人生が100年あったとしても、
100度しか進めない。
どんなにがんばって長生きしても
太陽を道連れに進む魂は、3~4つの宮しか辿れない。
つまり、人の一生では黄道12宮(360度)すべてを
めぐることは出来ない。
現世で倒れた先にも、長い魂の旅路が続き、
その道程は、永遠の輪として循環している。
そんな茫漠とした時の流れをイメージさせながら、
今に伝わる……(;^_^

古代神殿で観測された日月や星の暦から、
後代に派生した
運命の輪(ホロスコープ)的な世界観。
植物は枯死しても種を残しまた芽吹くという
古来の穀物神への信仰と結びつき、
その象徴的な「死と再生」観が、
広範な地域で「輪廻転生」思想へと発展もしながら、
様々な信仰・宗教に影響を与えてきたのでは
ないだろうか……




 

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TITLE: 月の葉

CATEGORY: 神話雑記 DATE: 06/18/2016 21:57:00


月の葉を
清水にひたし
ツユしたたらせ
約束する
渇いた大地はよみがえり
埋もれた種はまた芽吹く、と

形代の枝
かがやく炎に投じ
煙たちのぼらせて
夢をみる
明星にともなわれ日がのぼるとき
灰の寝床からツバサは舞い上がる、と

幾千と幾万
暗い夜の夢をたどれば
朝がこない日はなかった
それがずっと
変わりゆく世界の魔法
変わらぬ「とき」の約束

月の葉を輪にして
月の葉を冠にして
魔法がおわらないことを願う
約束が破られないことを祈る

月の樹を柱にして
月の葉を屋根にして
星々の物語を紡ぎ
地の安らぎを織りあげる

月の実をもいで
月の葉を編んで
円い籠舟を銀河に浮かべ
こよい漕ぎ出せば
この岸からあの岸へ
終わらない旅が始まる



 

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TITLE: 4本の柱、異界と往来する舟

CATEGORY: 神話雑記 DATE: 05/18/2016 12:40:12




上記リンクは、諏訪「御柱祭」についてのウィキペディアの記述。



上記リンクは、「諏訪大社」についてのウィキペディアの記述。



上記リンクは、御柱をお迎えする「御舟」の祭事について記したブログさん。



上記リンクのブログさんで、
バイキングの葬式について、1000年程前の北欧の風習で、
水辺に4本の白樺の柱を建て、
陸に置いた船を燃やして葬儀をする、といった記述をみかけた。



諏訪の御柱祭りでは、
申と寅の年ごとに、新しく4本の柱を建てる。
山から切り出された各柱が、本宮に向かって進んでくると、
「一の柱」を出迎えるために、本宮から「御舟」という神輿が出発し、
担ぎ手達が「一の柱」に一礼して、
また本宮に引き返すのだという。
この「御舟」には、薙鎌が取り付けられている。

4本の柱、異界と往来する舟。

1000年前の北欧と、日本の諏訪大社とで、
不思議にどこか似通った祭儀の型が、伝わっている。

諏訪大社の「御舟」は、
黄色い装束の担ぎ手達に運ばれ、
薙鎌をシンボルとしている。
黄色い装束は月光、
薙鎌は、農具であり
三日月型の武器でもあるだろうか。

鈴も取り付けるという。
鈴の音は、神の降臨を知らせる合図だろうか。
神の気配は、目には見えないけれど、
風のように鈴を揺らし、鳴らす。
風そのものが、神かもしれない。

舟に乗って、三日月の武器を持つ神様には、
古代シュメールの都市ウルの主神で、
月神のシン(ナンナ)がいた。

案外、北欧バイキングの葬式の源流や、
諏訪大社の祭りの遠い起源が、
古代メソポタミアの月神だったりしても、
だんだん驚かなくなっている……そんな妄想メモ。

月神シンは、
ナツメヤシの葉と関連づけられている。
なぜなら、ナツメヤシの樹は1年に12枚の葉をつけ、
古代シュメールの人々にとっては、
1年12カ月の「月の暦」と結びついていた。
月の力を帯びた葉は、
豊穣と知恵のしるしであり、
「欠けても再び満ちる月」の運行から、
死と再生の神秘を象徴していた。
古代の人々は、変遷する月神の姿を
「満ちる月、満月、欠ける月」の三相で一体とみなした。
諏訪大社の神紋は、三枚の葉だ。

とある日本の祭りの由来が、
その昔に船を操り、渡来してきた人々の
古い月神の記憶だ、という
場合があっても、
ほんとに驚かなくなっている……そんな妄想メモ。
(^ ^;


 

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TITLE: 妖精の騎馬行とカグヤヒメの昇天

CATEGORY: 神話雑記 DATE: 05/12/2016 13:28:30


古代メソポタミアの月神シンの
影響力の大きさは、そのまま
シンを主神として巨大神殿を築いていた
シュメール最古級の都市「ウル」の
交易力・蓄積された富と知識の影響力
の大きさと比例していただろう。

ウルの王・王妃の墓には、
70人ほどの殉死者が
整然と埋葬されていたという。


以下、「幻想世界神話辞典」というサイトさんから引用。

1927-29年 ウルで「王墓」発見。
アバルギ王のものと推定。(人間、牛が殉葬)
王妃シュブ・アド、メスカラムドゥッグなどの墓からは 黄金の兜、銀製の舟模型、遊戯盤と駒、竪琴、金・ラピスラズリ・銀等で細工された 「潅木に後ろ足で立つ牡羊像」等発掘
ウルの王宮墓(BC2500年頃)では 王宮共同墓地からはモザイク、貝殻細工などの美術副葬品が発見されている。

(引用終了)


BC2500年頃といえば今から4500年程も昔だが、
その頃にはすでに古代メソポタミア(現代ではイラク)の地に、
王侯貴族の階級と、巨大な王墓と、殉葬の習わしが
存在していたことになる。



文献はずっと新しくなるのだが、
北欧神話の「エッダ」にも、
殉死の例が記されている。
上記リンクは、勇者ジークフリートに殉死する王妃ブリュンヒルドの伝説。


そして、上記リンクは約1000年程前の、
「北欧ヴァイキングの葬式」に関する記述。
ここには、主長の死に際しての、
ほぼ強制的な「女奴隷の殉死」のあらましが、
描かれている。

ヨーロッパのケルトやゲルマン系のみならず、
殉死・殉葬の風習は、
古くからインド・中国・朝鮮半島・日本など
アジア圏で広く行われていた。



中国の秦の始皇帝の墓の「兵馬俑」は、
殉葬者の姿をかたどった陶人形であり、
その伝統のもともとの祭儀の形は、
ウルの王墓のように
生身の人や動物が「死者の葬列」として
「死せる主」に冥界までも付き従ったのだろう。

メソポタミアの古代都市ウルは、
月の男性神であるシンを
主神としていた。
シンは、暦の神であり、航海の神であり、
死と再生の神秘を司る、知識の神でもあった。
当時の文明の先進都市であったウルが、
その隆盛の歴史の中で築いた富貴の片鱗を、
殉葬者を含め、巨大な王墓というカタチで
地下に保存しようとしたのだろうか。
ときを越え、永遠の生命を願って、
あるいは、やがてよみがえる日を祈って?

以下リンクは、
ケルトの伝承にみられる「妖精の騎馬行」についての
拙ブログの記事。


妖精の騎馬行(フェアリーライド)のような
伝承の下敷きとして、
古代の富貴な王朝の記憶、死者達の壮大な墓所の物語が
さまざまな時代と地域にわたり、
人々に受け継がれていたのだろうか。

そのような文脈で考えると、
たとえば日本の「カグヤヒメ」の物語での、
月への昇天に付き従う使者達の列は、
「妖精の騎馬行」のバリエーションのひとつ
と考えてもいいのかもしれない。
カグヤヒメが帰還する月の世界は、
きっと古来よりの月神が支配する、
異界の富貴な王朝なのだろう。




 

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TITLE: 禁じられた北天の風の神

CATEGORY: 神話雑記 DATE: 05/05/2016 19:08:06


古代オリエント世界の天文知識(星座図や暦)の発達の中で、
シュメールの主神・風と嵐の神だったエンリルは、
北天を司る神とされた。
北天の神のイメージは、不動の北極星への信仰とも結びつきながら、
バビロニア発祥の天文や暦の知識とともに、
他地域の文明、後の時代の神々に、大きな影響を与えた。


以下リンクは、ウィキペディアによる「天皇大帝」の項。


中国を経由した「北天と北極星の神」=「天皇大帝」が、
日本の「天皇」の源流ではないか、という説もある、と。
そして、京畿・伊勢・近江などの地方では、
「北斗七星に灯火を奉る」民間の北辰信仰があり、
796年以降には、それを朝廷が罰則つきで禁止して、
その祭祀を伊勢神宮が独占した史実が伝えられている。

以下は、上記リンクのウィキペディア記述より引用。

信仰[編集]

北斗七星(おおぐま座)は水を汲む 「斗」 の形をしており、大地を潤す農耕の神のシンボルでもあった。
史記』 『星経』 には北斗は北辰を中心に一晩で一回転し、一年で斗柄は十二方位を指し、
止まることのない永久時計として陰陽(太陽と月のこと)、そして夏・冬を分け、
農耕の作業時期を示し、国家安寧を保証するとある [12]
天皇大帝はその聖性の象徴として神器(道教の用語)を持っている。
神器は 「鏡」 と 「剣」 であり、呪具(magic tool)と威儀具とを兼ねている。
儒教では、中間色である 「紫」 を正色(原色)である 「赤」 よりも格下に見る [13]が、天皇大帝は 「紫宮」 あるいは 「紫微宮」、「紫宸殿」(ししんでん)、「大極殿」(だいごくでん)などと呼ばれる宮殿に住んでいることになっており、
また北極星の光芒は紫色とされ、紫色を最高の神聖な色としている[14]
[15]

私幣禁断に類似する禁令[編集]

私幣禁断とは、一般には天皇家の祖霊を祀る伊勢神宮を天皇・皇后皇太子以外が祀ることを禁じたことを言う。
これに似た内容の禁令が以下のように出されている。
  • 796年、日本の天皇は北斗七星を祀ることを禁じた。
    罰則として 「法師は名を綱所に送り、俗人は違勅の罪に処せ」 と規定した(『類聚国史』 「延暦十五年」)。
  • 799年斎宮が伊勢神宮へ行くに際して 「京畿の百姓」 に 「北辰[18]に灯火を奉る」 ことを禁じた(『日本後紀』 「延暦十八年九月」)。
  • 811年、斎宮が伊勢神宮へ行くに際して九月の一ヵ月間、「北辰を祭り、挙哀改葬等の事」 を禁じた(『日本後紀』 「弘仁二年九月一日」)。
  • 835年、斎宮が伊勢神宮へ行くに際して九月の一ヵ月間、「京畿」 での 「北辰に火を供えること」 を禁じた(『続日本後紀』 「承和二年八月二日」)。
  • 967年施行の 『延喜式』 は斎宮が伊勢神宮へ行くに際して 「九月一日より三十日まで、京畿内、伊勢、近江、等の国、北辰に奉灯し、哀を挙げ、葬を改むる」 ことを禁じた。
なお、1811年、伊勢神宮の私幣禁断は解かれたが、北極星および北斗七星の祭祀解禁の時期は不明である。

(引用終了)


中国道教の影響で、北極星の光芒を紫色とし、
天皇大帝の宮殿は「紫」と関連づけられ、
紫が最高に神聖な色とされたという。

これは、古代地中海世界・オリエント世界において、
アッキ貝から採れる貴重な染料だった「ロイヤルパープル」が、
皇帝色として権力者たちに独占された経緯を思い起こさせる。

古代地中海文明から発祥した貝紫(ロイヤルパープル)は、
フェニキアの航海術とともに、
フェニックス(炎から再生する鳥)、
フェニックス(ナツメヤシの樹、その実の色の赤紫)
など、さまざまなシンボルを取り込みつつ、
天文の知識や神々の物語とともに、
ときに海をわたり、砂漠を越え、シルクロード経由で
聖なる紫の光芒を放つ北極星(ロイヤルパープルの衣をまとった天の王)
のイメージへと統合されたのではないだろうか。
たとえば、貝紫・神の像・物語・暦・星図・生命の果実など
聖なるイメージを重ねづけするほど、
交易品の価値はあがり、伝播しやすくなるだろう。

古事記編纂の天武天皇の時代よりも古く、飛鳥時代に日本へと伝来した
「伎楽」の主役「呉公」が、
ロイヤルパープルの衣をまとい、
笛や扇を手にし(風神の面影)、
怪鳥カルラ(ガルーダ)を従えていること。
その「呉公」と、後代の「古事記スサノヲ神話」にも
文献上で執筆者による関連付けの意識がみられること。
(スサノヲの頭に巣くうムカデ=呉公と記述)
などから、
天武天皇以降の流れとして朝廷による公式信仰となった
伊勢神宮の「北辰信仰」の最古の源流は、
いろいろに錯綜してはいるけれども、
古代オリエントの主神エンリルであるように思われる。
北天を司り、風を操り、霊鳥を従える。
その姿は、日本では仏教と習合した「毘沙門天」にも受け継がれる。



また、以下は北辰信仰を、
アマテラスよりも先に登場する神として、
「アメノミナカヌシ」と結びつけた説。


天体観望支援ボランティア”黄華堂”さんHPより

 天之御中主命(アメノミナカヌシノミコト)という神様の名前を聞いたことがあ りますか?

なんか長くてややこしいですね…。

しかし、あの有名な天照大神(アマテラスオオカミ)よりも先に登場する神様なのです。

天之御中主は宇宙を作った神様とされていますが

現代では妙見菩薩信仰(北極星を神格化した菩薩)と合わさり

北極星の神とされています。


 つまり、やはり日本でも中国と同様北極星を神格化した神は神話の中心となって おり、

動かない星である北極星が人にとってどれだけ不思議なものだったのかを物語っています。

(引用終了)

朝廷と伊勢神宮によって公式に独占される以前から、
北辰信仰は、民間に深く根づいていたのだろう。
天の北極星と地の水源とを結ぶ天地の軸が
「宇宙樹」と呼ばれるシンボリズムであり、
古代神話の鋳型として、世界各地に広く伝承されている。

たとえば、「アメノミハシラ」「クニノミハシラ」とも呼ばれる
「シナツヒコ」「シナツヒメ」という風神について考えてみる。
「ミハシラ」は、宇宙樹のシンボリズムである。
シナツヒコは風の神であるが、古事記などの文献や伝承では
女神の吐息である朝霧や、
白髪の豊穣神である「タツタヒコ」の面影とも重ねられ、
白く清涼な輝きをそのイメージとしているので、
風神エンリルの息子「月神シン(ナンナ)」を思い起こさせる。
月神シンは、豊穣神であり暦の神であり、航海の守護神、死と再生の神秘の神。
ときにはエンリル同様に大気の神でもあった。
そして金星神である大女神イナンナと、太陽神ウトゥの父である。
シンの聖数は、30。
ふと「三重の国」はシンの国だったのでは、という幻想がよぎる。
伊勢は、海人たちの地である。
船乗りには、星図や暦、風を読む知識が必須であっただろう。
大和朝廷が公式に祭祀の対象とするより先に、
三重の民が、古来の渡来神を祀っていたとしても不思議ではない。

古事記のヤマトタケル神話では、
瀕死のヤマトタケルが「足が三重にまがり、もう歩けない」と
嘆いたことから、その地を三重と呼ぶ、と説明される地名だ。
そんな呪詛のような地名由来だったのだろうか。
ありえない。
古来よりの地名なら、きっとその地の民の思いを映している。

以下リンクは、「伊勢は風の通り道」という生活実感をもとに
綴られたブロガーさんの記事。
在来の風神シナツヒコに触れている。

「伊勢の国津神は神風という思い」

アマテラスの太陽神信仰より古い在来の信仰を思わせる、三重の地である。

また、どこかしら古代エジプトの大女神
イシスの名を彷彿とさせる
イセの地でもある。
エジプトの大地母神イシスは、
メソポタミアのイナンナやイシュタルと同根の女神であり、
月神シンの娘がイナンナだった。
再生や慈雨・ナツメヤシなど、多くの共通するシンボルで
結ばれている大地母神のイメージである。

火から再生するフェニックス。
古代地中海や古代オリエントにまでさかのぼる
「火に投げ入れられる神像や樹木の柱」。
それらを彷彿とさせる「火祭り」も
伝承されている伊勢の地である。


上記リンクは、伊勢の大王崎の火祭りについて。詳述されたブログさん記事より。


上記リンクは、大王崎の火祭りについて、三重神社庁のHPより。

この火祭りのことを「トトツリアイ」と呼ぶという。

トトは、魚のこと、と。
なるほど。
「ヤマトトトヒモモソヒメ」の語の解釈で、
国語学者の大野晋は、たしかトトを蛇のこと、と論じていた。
トトヒで、飛ぶ鳥、という解釈もみかけたことがある。
いずれにしても、
ときの神の再生の儀式なのだろう。

昔、エジプトにはトトという神様もいた。
だが、火祭りにこの神の名が伝来しているとは、
さすがに飛躍がありすぎる気がする……(^ ^;
トトもまた、知識や暦、再生の神秘を司る。
古来よりの月神の系譜だろうか。
ヒヒやトキを象徴とする。
猿と鳥、これらは
ナツメヤシの豊穣儀礼にまつわり、
若くして命を落とし、またよみがえる文化英雄の象徴
として以前に考えてみたことがある。
以下は、拙ブログ記事のリンク。




また、下記リンクは、ブログさん記事より、エジプト神トトについて。



伊勢の地の、かつて大和朝廷によって禁じられた
北辰信仰について考えてみたのだが、
妄想・夢想はとりとめなく
さまようばかり。
まるで汲めども尽きぬ、若水のよう。



 

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TITLE: シナツヒコは風の神?

CATEGORY: 神話雑記 DATE: 05/01/2016 16:33:14


「シン」は、
古代メソポタミアの月の男神。
ナンナとも呼ばれた。

下記リンクは、シンについてのウィキペディアの記述。


以下、ほとんど資料もなく、
単なる私の思い付き&妄想のメモ。

月の神は、古来より世界各地で豊穣の神、暦の神、
満ち欠けを繰り返すことから死と再生の神として、
主に大地母神として信仰の対象となってきた。

母なる命の樹であるナツメヤシが、
1年に12枚の葉をつけることから、
1年12カ月に対応する月の暦と関連して、
ナツメヤシや月をシンボルとするオリエントの大女神には、
ニンリルやイナンナ、イシュタル(エジプトではイシス)の系譜がある。
彼女らは、月光神というよりは、
月や金星もその属性の一部として取り込んでいるような、
母なる豊穣の大女神だった。

そして、そんな女神の系譜とは別に、
古代メソポタミアの都市ウルでは、
月の神ナンナ(シン)は、都市の主神であり男性神だった。
この月神は、
シュメール神話を取り入れた後代のバビロニア神話の記述では、
若き風の神エンリルと、水浴中の乙女ニンリルとの子とされている。

ニンリルを強姦した罪で冥界に追放された青年エンリルを追って、
乙女ニンリルが冥界にくだり、
そこで産み落としたのが月神ナンナ(シン)であり、
エンリルとニンリルは冥界を脱出するために、
新たに冥界に3人の子を産み、身代わりにそこに残し、
エンリル・ニンリル・ナンナ(シン)親子3人そろって
地上によみがえった、という。
そして、月神ナンナ(シン)の子が、
太陽神ウトゥと金星女神イナンナとされる。

風神 → 月神 → 太陽神・金星神

という順番で、親子関係を結んでいるのが、面白い神話だ。
古代のオリエント世界では、太陽神より風神や月神がまず信仰された。
熱砂の乾燥地帯での生活実感を反映しているのだろう。

で、シン。

三日月や牡牛の角をシンボルマークとし、
長いひげを生やした知恵深い老人、の姿の神。
ジグラド(神殿)で天体観測&暦を計算し、未来を知る。
シンを象徴する数は、30。

というのが、古代メソポタミアの月神のイメージだという。

で、シン=三日月などの象意から、以下は連想。
まったくの連想。(^ ^;

シナイ山・・・月の山。
シナ(チャイナ)・・・月のように白く輝く陶器。その陶器を産する地。
秦(シン)・・・月神を祖とする人々の国。
津(シン)・・・にじむように広がる水、闇にこぼれる月光のように。渡し=三日月の舟からの連想か。例、三重県津市は30(シンの象徴数)の国のシンの街。
しんしん・・・月光のように静かに、白く、時の神秘を漂わせて。
しぬ・・・シンのもとへ行くこと。
シナノ(信濃)・・・シンを奉ずる人々の地。
しなう・・・三日月のような弓型曲線を描く。
しなびる・・・月が細くなり、豊穣の月光の恵みをうしなうような状態。

ほんとに、まったくの連想……(^ ^;
シンと名前が似ている「シナツヒコ」はたんなる風の神?
ちょっとした疑問……そして、
どんな辞書にも答えは載っていない。

シナツヒコは、風の神。

朝霧を吹き払う女神の吐息から生まれた。
白い朝霧。こぼれる吐息。
しなやかな風。
白く輝く、シナやかに……夜明けの三日月の淡い光のように。

タツタヒコは、白髪の老人。
タツタ揚げは、白い衣。モミジ揚げともいう。
竜田川の白い水流をイメージしている、と。
月光のように白い水流、
シンはナツメヤシの葉の輪を持つ、ナツメヤシの葉は再生と暦を象徴。
モミジやカエデの葉は、風神の息吹と季節の移ろいを象徴。
楓(カエデ)の葉は、龍田大社の神紋。

風の神は、山の神。
風は山から吹き下ろしたり、山にさえぎられたりする。


訪れる神と水浴する乙女。
山から下りる神。木に宿り、水面の月影とともに再生する。
不思議にエンリルとニンリルとシンの神話にも
どこかしら通じるかもしれない、日本の祭儀。


以下は、「しなてる」という枕詞の例。


聖徳太子と、行き倒れの餓えた人との出会いと、
その不思議なよみがえりを匂わせる後日譚。
「しなてる」が、ふりそそぐ月光を表し、
再生の神秘を司る月神の恵みのもとでの出来事、
というイメージを下敷きに読むと、意味が伝わりやすくなる。


また、紫式部「源氏物語」第四八帖「早蕨」に登場する和歌から。

 しなてるやにほの湖に 漕 ( ) ぐ船の
   真帆 (まほ ) ならねども相見しものを

「にほの湖」は、「カイツブリの湖」で琵琶湖のことだそうだ。
「しなてるや」を三日月が照らす情景と読めば、
船にかかる三日月の帆、
または水面に輝く幻の三日月の帆、
というイメージが浮かび上がり、とてもわかりやすい。
「水浴する乙女と訪れる神」という古代祭儀のイメージまで、
にほ(カイツブリ)の湖という語からは汲み取れて、
どこか神秘的な恋歌となっている。

など、「シナ」の語を
三日月や白い光に象徴される月神の意で読むと、
難解だったはずの解釈が、いともすんなり了解できる。

日の神の影にかくれて
忘れられてしまったけれども、
古代オリエント世界から遠く離れた現代の日本でも、
いにしえの月神の面影、その伝播の痕跡は残されていて、
たとえば「シナツヒコ」という
記紀神話では「目立たない風神」であるはずの神様が、
疫病の流行や元寇、第二次世界大戦といった
国難の際には思い出されて祈りの対象となった歴史がある。
それは、
日本に文書化されて残っている渡来文化よりさらに以前の、
この島国の風土に根付き、伝統に沁みこんだ文化の鋳型として、
その神の由来がとても深くて古いことに
起因しているのではないか、と
風の神・月の神に、とおく思いを馳せてみる。
が、その答えは、朝霧や月影のように
淡くおぼろげで、つかみどころなく、
それでいて包み込むように、広く果てがない。
まるで、月光が紡ぐ白銀の織物のように、
あるいは結末のない暦や書物のように。
行く雲や流れる水のように。






 

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TITLE: シナツヒコは風の神

CATEGORY: 神話雑記 DATE: 04/30/2016 14:15:49


古代オリエント世界の
シュメールの主神エンリルは、
命の樹であり大女神であるナツメヤシの、
雄株と雌株を受粉(風媒)させる風の神だった。
また、船の帆に風を送り、航海運を支配する神であり、
天地の軸(宇宙樹)を定める北極星と
北天の12星座を支配する「天の秩序の神」だった。
そして、ときには嵐や河川の大洪水を起こして
人間を滅ぼす自然の猛威の象徴だった。

そんな古代メソポタミアの風神エンリルの面影は、
他地域の文明や後の時代の神々にも広く伝播していった。

ところで、東の果ての島国・日本における
風の神は、どのような存在だろうか。


上記リンクは、日本古来の風の神「シナツヒコ」に関する
ウィキペディアの記述である。


「シナツヒコ」に関する興味深い記事を、上記ブログさんで見つけた。
これは、シナツボシをスピカと結びつけ、
オリエントの女神と関連づけている。わくわくする内容。

が、まだちょっと、踏み込むのは勇み足かもしれない。
まずは基本的な事から。


シナツヒコは、イザナミの吐息から生まれたとされる。
下記は、日本の「風神」に関するウィキペディアの記述。


そして、シナツヒコと同一視もされる
タツタヒコについてのウィキペディアの記述が下記。


ウィキペディアの記述をざっと眺めると、以下の内容。

朝霧と女神の吐息から生まれた風神がシナツヒコで、
(シナツヒコ・シナツヒメ=シナトベの男女一対として語られる場合もある)
白髪の老人タツタヒコとは同一視される。
シナとは「息が長い」の意味で、
元寇の際、蒙古襲来を退けた神風を吹かせた神とされ、
伊勢神宮において「風日祈宮」の称号を与えられている。

で、疑問。

「風神」のイメージは、台風に見舞われる農業国の日本では、
「雷神」とともに大きなモチーフだったはずだが、
案外に神話の「シナツヒコ」の名は知られていない気がする。

そして「カミカゼ」は、
太平洋戦争時、学徒出陣で空軍に召集され、
前途ある命を失った若者たちの「特攻隊の呼称」として
歴史の悲劇を伝える言葉となってしまった。
最近では、海外での自爆テロにまで
「カミカゼ」の語が無慈悲にも流布され、
「ツナミ」とともにネガティブな意味で
世界で知られる日本語のひとつとなっているかもしれない。

「いざとなったら神風が吹く。日本は風の神に守られている」

こうした信仰が、現実の歴史に大きく作用した実例が
太平洋戦争時の「カミカゼ」であったとしたら、
それほどまでに
神話のイメージ的には、
元来は大きな存在であるはずなのに、
日本神話上で案外知られていない
風の神「シナツヒコ」である。

そして「シナツヒコ」同様に、
モチーフとしては大きいのに、存在感が希薄であるのが
月の神「ツクヨミノミコト」である。

世界の神話では、のきなみ偉大な神であるのに、
日本神話の記述では存在感の薄い
風の神、月の神、
そしてなじみのない名前のシナツヒコなのだが……

このあたりの微妙さ加減が、
疑問とロマン(私の妄想)をかきたてるから厄介。(^ ^;



 

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TITLE: 北天の星を司る神エンリル

CATEGORY: 神話雑記 DATE: 02/18/2016 13:54:59


いろいろモヤモヤしていて、
パソコンでポチポチ検索したり、
facebook や youtube 眺めながら
ボ~ッと無駄に時間が流れていく。
神さまの系譜のスケールが大きすぎて、
消化不良気味……
今さらだけれども、
エンリルって、偉い神さまだったんだ……?


上記は、古代メソポタミアの暦と天体観測と神様についてのリンク。
わかりやすい!

約5000年前の、古代メソポタミアのシュメールでは、
月の観測から太陰暦が用いられていた。

約4000年前シュメールにとってかわった
古代バビロニアでは、
月食と王国の運命を関連づける「占星術の記録」が残されていた。
金星の観測記録、天を区切る星座の配置。
天文学と占星術の起源は、バビロニアの粘土板に刻まれている。
そこに描かれている宇宙観は、
赤道帯の星々を司るアヌ(天の神)
赤道帯より北の空の星々(12星座)を司るエンリル(風の神)
赤道帯より南の空の星々(12星座)を司るエンキ(水の神)
であった、という。

実際どんな星図だったのか、図解されないと正直ピンとこないのだが、
ひとつはっきりわかったことは、
エンリルが「北の夜空の星と関連づけられる神」だった、
ということで、しかもその起源はバビロニア
つまり「世界最古の占星術」にさかのぼる。

毘沙門天は、
インドのヒンドゥ教・仏教や、中国仏教・道教が習合した神らしい。
北方を守護する神とされ、
日本では密教や妙見信仰(北極星・北斗七星への信仰)とも
結びついている。
北の夜空の神、不動の北極星(天地の軸)を示す神。
であるなら毘沙門天の源流、星辰信仰の彼方に、
古代オリエントの主神エンリルのイメージがあったとしても、
なんら不思議ではない。
古代オリエント発祥の暦や天文知識とともに、
古代神のイメージが各地域ごとに翻訳されつつ
伝播していったのだろうから。

インドのヒンドゥ教三大神のヴィシュヌ。
怪鳥ガルーダを乗り物とし、
蓮の花の女神ラクシュミー(吉祥天)を妻とする。
吉祥天は、毘沙門天の妻とされるから、
同じ女神を妻とする点において
ヴィシュヌと毘沙門天は、類似性の高い神様だろうと思われる。

インド神話で北極星が登場するのは、
やはりヴィシュヌ神の物語である。
以下リンクは、ドルヴァ(インドの北極星)の神話について。


日本では、飛鳥・奈良時代に
大陸から輸入した文化のひとつ「伎楽」において、
「呉公」という
迦楼羅(カルラ=ガルーダ=ヴィシュヌに従う怪鳥)を伴う
貴公子の面影が伝えられていた。
迦楼羅を従えていることで、
「呉公とヴィシュヌ」は近似したイメージを持つと思われる。

「伎楽」の輸入より時代がくだった「古事記」スサノオ神話では、
「呉公」と表記してムカデを指している。
ムカデは、「信貴山の毘沙門天信仰」にみられるように、
毘沙門天の使者と認識されていたらしい。

「伎楽」伝来よりも新しい時代・王朝の産物「古事記」。
そのオオクニヌシ・スサノオ神話で、
スサノオの頭に巣くうムカデ(呉公)が描写されたということは、
偶然の符号なのだろうか。
ムカデとして描かれているスサノオの難題だが、
インド・東南アジア諸国の風習では、
ビンロウジュというヤシの樹の実を
キンマの葉にくるんで噛みタバコにすると、
酩酊感や高揚感が得られるらしい。
噛む際に、口に溜まった有害物質を、
赤いツバとしてぺっぺと吐き出すのだという。
赤土とムクの実をぺっぺと吐いて
スサノオを安心させたオオクニヌシは、
ビンロウの実による酩酊に惑わされず、
逆にスサノオの髪をしばって逃げ出すという
策に打って出て、「出雲の覇王となれ」という
スサノオの承認を得たのではなかろうか。
ビンロウジュは、古代オリエント世界の聖樹ナツメヤシの
面影を宿した樹木ではなかろうか。
聖樹ナツメヤシを受粉させる風の神こそ、
古代メソポタミアの「北天の星の神」エンリルであり、
ナツメヤシは、天地の軸を定める宇宙樹であったことだろう。


毘沙門天 ~ ヴィシュヌ ~ 呉公 ~ スサノオ
といったイメージの連鎖が、
各地・各時代ゆるやかに意識されているように思われる。
その連鎖の源流には、
風の神・嵐の神であり、天則の神でもある
古代オリエント世界の主神エンリルのイメージが、
見えつ隠れつ宿っている、
どうやらそうに違いない……
そんな気がしてならないのだが、
あまりにも水脈が深く広すぎて、
考えるたびに神話や物語の迷宮にはまっていく。



 

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TITLE: 呉公はムカデ。スサノオの頭に棲んでる。

CATEGORY: 神話雑記 DATE: 02/17/2016 12:46:00


伎楽の主役「呉公」。
「呉公」には、ビシュヌ神(毘沙門天)を通じて
遠くオリエントの風神エンリルの面影が宿る。

で、「呉公」をネット検索すると、
古事記のスサノオ神話がヒットする。

大国主命が若かったときに、
スサノオの難題を次々にクリアして
「我が娘スセリビメを嫁にして、出雲の覇王となれ」と
ついにはスサノオの承認を得る物語。
「呉公」は、「蜂とムカデの部屋」や
「スサノオの頭に棲んでるムカデ」の、
漢字表記として使われる語だった。

「呉公」=ムカデ。
ああ、また毘沙門天だ。
古来日本では、「ムカデは毘沙門天の使い」と伝承されている。






「ミトラ神」に関する神話雑記

上記リンクは、
ムカデと毘沙門天(ヴィシュヌ~ミトラ神由来?)などについて、
あれこれ妄想・夢想した、私自身の雑記。

そして、
大国主命が、スサノオの頭に巣くうムカデを退治すると見せかけ、
口に含んだ赤土と椋(ムク)の実をぺっぺと吐き出し、
それをムカデを噛み殺し退治していると思ったスサノオは
「かわいいやつだ」と眠ってしまうエピソード。

これ、ビンロウジュの実と石灰とキンマの葉の
「噛みタバコ」の風習が、
インド・東南アジア諸国では、今でもあるというのです。


ビンロウジュって、ヤシの樹。
オリエントの聖樹ナツメヤシに、よく似た姿です。

そして、ビンロウジュに似た「ビロウ」は、
日本皇室の古来からの聖樹なのだそうです。


ビロウの葉が扇に似ていることから、
風に関する呪具との関連も……

エンリル~ビシュヌ~毘沙門天~スサノオ
の系譜、なんてものが
あるのかしらん?

ココロモチ茫洋……



 

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TITLE: 閑話休題(♪渇いた叫び)

CATEGORY: 神話雑記 DATE: 02/10/2016 12:13:43


遊戯王断ち(BGMだけでもせめて)してたはずなんだけれども……
「アニメ遊戯王」主題歌の中では、「渇いた叫び」が好きかな。
爽やか~(^^♪「これアニソンですっ♪」て感じがいさぎよい。
初期作品のこの曲だけ、DMシリーズのCDアルバムに入ってなくて残念無念。

ファンの方がUPした動画、イラストに萌えだの愛だのにじんでます……かわいい。

二重の面を持つ「武藤遊戯」のキャラクター、
神話的に考えれば、古代の金星神かな……
惑星はひとつなんだけど、宵の明星(平安の神)・明けの明星(戦いの神)の双子というキャラクター。
軍神だったり文化英雄だったりする。

タマル(アシェラ、イシュタル)の
夫または双子または息子のタンムズ(シャヘル、アッタル)。
タンムズは年ごとに「冥界くだりと再生」を繰り返す若い神。
タマルは、ナツメヤシの実をも表す、豊穣女神。

オリエントのタマルとタンムズが、
エジプトではイシスとオシリスになる。

エジプトの新年の豊穣儀礼では、
雨期(ナイル河の氾濫)を告げる目安が、日の出に重なるシリウスだったため、
イシスとオシリスは恒星シリウス(慈雨の神)に結びつく。
太陽王であると同時に冥界の王、という複雑なキャラクターが、
各地の豊穣儀礼や天体への信仰の中で、洗練されていく。

遊戯王の主人公「武藤遊戯」は、
若き太陽王の冥界くだり、軍神的性格と柔和な性格を二重に持つ、
主題歌にあるように「渇いた叫び」に再生の息吹でもって応える、
といった点で、古代の双子の金星神の流れを汲んでいるように思われる。


なんてね……なに見ても、神話に見える。
キャンベル博士の「千の顔をもつ英雄」読むと、その傾向が加速されて困る……




 

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TITLE: なんだか気になる伎楽

CATEGORY: 神話雑記 DATE: 02/08/2016 12:02:48
以前からパラ読み状態の本(モチロンちゃんと読み切ってない)

「日本古典芸能史」
(今岡謙太郎 著、武蔵野美術大学出版局、2008.4.1発行、2008.7.31二刷)

パラ読みしつつ、なんとなく気になったのが
「伎楽」という古典芸能。
飛鳥・奈良時代に朝廷によって輸入され、鎌倉時代には途絶えてしまったという
仮面劇。
民間に残る伎楽の面影は、「獅子舞」。
その起源は古く、謎めいていて、シルクロードの香りがする……という。

気になる。
魅かれる。
観てみたい。


紹介サイトの動画をみるかぎり、
主人公(?)の「呉公」がまとう衣装は、緋色や赤紫。
地中海沿岸では「皇帝色」とされた
当時としては貴重な染料を使った高貴な布。この配色、偶然とは思えない。

本やネットの資料を探して読むと、
「呉公は笛を吹く、扇を持っている」キャラクターらしいので、
いわんとすることはおそらく「風神系の王様」。
そして、ガルーダ転じた「迦楼羅(カルラ)」を味方につけていて、
獅子舞を思わせる「獅子」をてなづけている。
ガルーダは、インド神話の怪鳥で、ヒンドゥ教の三大神ヴィシュヌの乗り物とされる。
ガルーダは、中東のアンズー鳥、地中海のフェニックスにも通じるイメージだ。
迦楼羅(鳥)と獅子(ライオン)とを従え、赤紫の衣装をまとった
風神系の王様「呉公」。
もともとは、青緑に塗られた仮面だったというから、
インド神話であれば、シヴァやヴィシュヌだろうか。青緑に塗られる神は、
アーリア系ではないインド土着の神であることを示すのだという。

シヴァは蛇を首に巻いて牛に乗っているから、「呉公」のイメージとは異なる。
怪鳥を従え、獅子を従え、風神の面影を持っているなら……そう、
ヴィシュヌ神の面影の彼方に、遠くオリエントの風神エンリルが重なる。

なんとも雄大なイメージの旅路を感じる「伎楽」の世界観だ。






 

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TITLE: 蜘蛛ばあさんと、花粉と輪と、太陽の双子の息子

CATEGORY: 神話雑記 DATE: 02/07/2016 19:35:25

(アメリカ大陸の蜘蛛女神)

以下、蜘蛛女にまつわる私の夢想をまとめた神話雑記リンク。



以下、ジョーゼフ・キャンベル「千の顔をもつ英雄」より引用。


南西部のアメリカ先住民の間では、
こうした慈悲深い役を演じる登場人物として人気なのが、
「蜘蛛ばあさん」である。
祖母のような小柄な女性で、地面の下で暮らしている。
ナヴァホ族の「双子の軍神」は、
父である太陽神の家に行く途中、
自分たちの家を出て聖なる道をたどり始めたとたん、
この不思議な小さな老婆と出くわした。


双子は聖なる道を急いでいた。
日が沈んですぐ、ドシルナオティルの近くまできたとき、
地面から煙が立ち上っているのが見えた。
煙が立ち上るところへ行ってみると、
地下に家があって、
その家の換気口からあがっているのがわかった。
煙のせいで黒くなった梯子が穴から突き出ている。
下をのぞきこむと、老婆の姿があった。
蜘蛛ばあさんだ。
おばあさんは二人を見上げて言った。
「よく来たね、入っといで。お前たちは誰だい?
どこから歩いてきたんだい?」
二人は答えずに梯子を下りて行った。
部屋に入ると、おばあさんはまた二人に尋ねた。
「二人して、どこへ行くのかい?」
「別にどこということはなくて。
ほかに行くところがないので、ここに来ました」
と二人は答えた。
おばあさんは同じことを四回尋ねたが、
四回とも答えは同じだった。
そこでおばあさんはこう言った。
「お父さんを探したいんじゃないのかい?」
「そうなんです、父の家へ行く道がわかればいいのですが」
と二人は答えた。
「そうか、お前たちのお父さん、太陽神の家までは
長くて危ない道だよ。ここからそこに行くまでは、
怪物がうじゃうじゃ棲みついている。
それにお父さんの家に着いたとしても、
お父さんは喜ばないだろう。お仕置きされるよ。
お前たちは危ないところを四カ所通らなければならない。
旅人を潰してしまう岩の地、
旅人を切り刻む葦の地、
旅人を引き裂く柱サボテンの地、
そして旅人を呑み込んでしまう煮えたぎる砂の地だ。
だが、そんな敵をおとなしくさせて、
お前たちの命を守るものを授けよう」
そうしておばあさんは二人に
「異国の神々の羽」
と呼ぶお守りを授けた。
これは命の羽(生きたワシから引き抜いた羽)二本をつけた輪と、
さらにもう一本、二人の存在を守る命の羽でできている。
それから魔法の言葉も教えた。
敵に向かって繰り返し唱えれば、
その怒りを鎮めることができるという。いわく
「花粉をもって足を抑えよ。
花粉をもって手を抑えよ。
花粉をもって頭を抑えよ。
さすれば足は花粉になり、
手は花粉になり、
体は花粉になり、
心は花粉になり、
声は花粉になり、
道は開ける。
鎮まれ*」

*花粉は、南西部のアメリカ先住民の間では
精霊のエネルギーを象徴する。
すべての儀式で頻繁に使われ、悪霊を追い払い、
人生を象徴的に表す通り道をくっきり見せる。

「千の顔をもつ英雄 新訳版(上)」108p~109p
第一部、第一章、3自然を超越した力の助け より引用。
(ジョーゼフ・キャンベル 斎藤静代訳
ハヤカワ文庫 2015.12.25発行 2016.1.15二刷)



キャンベルの著作「千の顔をもつ英雄」を読んでいたら、
興味をひかれた神話があった。

アメリカ南西部に伝わる「蜘蛛ばあさん」については、
はるか遠くアフリカのトリックスター「蜘蛛男アナンシの妻」である
「蜘蛛女アソ」を思い起こす。

そして「花粉の呪文」については、
古代オリエント世界で重要な豊穣儀礼だった
「ナツメヤシの授粉作業」を連想する。

ナツメヤシの葉を輪にして2本の吹き流しをつけたアイテムは、
古代オリエントの豊穣女神イナンナやイシュタルのシンボルだった。
ナツメヤシの葉や、その輪は、勝利や永遠の命の象徴として、
エジプト・ギリシア・ローマ世界にまで広がっていた。

そして太陽神の息子の危険な旅。
「双子の軍神」は、
オリエントの「明けの明星で軍神でもあったアッタル」
(シャヘルと同格。宵の明星シャレムとは双子)
を思い浮かべずにはいられない。
このアッタルは、一説では堕天使ルシファーのひな型と言われる。

南西部のアメリカ先住民の間で伝えられた物語が、
どこかしらアフリカ発祥の物語や、
古代オリエントの神話に似ているのは、
偶然なのだろうか。

キャンベルの著作に初めて触れた大学生の頃の自分であったなら、
おそらく各地の神話の共通項は、
ユング心理学でいうところの「原型」、
つまり人類の心が広大な無意識の領域で、
共有している夢物語だからだ、という
説明で納得していただろう。

けれども、この頃はそう思わない。
人類の祖先はアフリカ発祥で、世界各地に広がったという、
最近の遺伝子研究の成果を参考にするなら、
人類の旅とともに物語が伝播したと考える方が、より自然だ。

たとえばアメリカ大陸のナヴァホ族にとって
花粉が精霊のエネルギーを宿す重要な象徴であったなら、
きっとそれは彼らが、
「風(精霊)の力で受粉し、花が実となる」豊穣儀礼の発想を、
どういった経路でか祖先から継承してきたことの
あらわれではないのだろうか。




千の顔をもつ英雄〔新訳版〕上 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)J.F.キャンベル@amazonJP

 

 

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TITLE: 猩々(ショウジョウ)の大きな手

CATEGORY: 神話雑記 DATE: 02/04/2016 13:09:17





愛知県にも「猩々」は伝承されている。
昨日は節分、豆まき。
節分の鬼のかわりに、猩々がきて、
子ども達のおしりを大きな手でたたく、
そんな伝統行事が残されている、と
愛知県在住の方のフェイスブック記事でみかけた。

私も、猩々の実演を観たことがある。
下記は、2年ほど前に猩々についてあれこれ考えたことを
まとめてみたリンク。

2年前に考えていたことは、
「古代の慈雨の神」が伝播された姿=猩々では?という点。
世界的に広がりを持つ「宇宙樹」信仰。
その宇宙樹の特徴を、
「鳥(天)+豊穣女神+蛇(湧水)」
のシンボリズム、そのバリエーションとしてとらえ、
「星(天)+豊穣の精霊+海&酒(湧水)」
というイメージを組み合わせた
慈雨の豊穣神(への生贄イメージも含む)の面影が、
猩々に残されている、と夢想したのだった。

そして、いま付け加えて考えたいのは、
「宇宙樹」信仰の根底に、
「成り木責め」という呪術的な豊穣儀礼の記憶が
継承されている、という点だ。
愛知県の奥三河地方にも残っている。
JA愛知東のホームページから。



どうやら最古の例は、
古代オリエントのナツメヤシの
豊穣儀礼あたりにまで遡る。
以下は、ナツメヤシ文化について。
金沢大学の資料から。




聖書のマタイ福音書 第3章より

3:10 斧がすでに木の根もとに置かれている。
だから、良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれるのだ。



たとえば有名な聖書のこの語句も、
もともとは、ナツメヤシの豊穣儀礼かもしれない。
良い実を結ばぬなら伐ってしまうぞ、と脅す
「成り木責め」だ。
そして、豊穣を祈り
木でつくった像を火に投げ込む新年の儀式も
古代オリエントの王宮では行われていたという。

この古代からの伝統行事の延長線上に、
「良い子には贈り物、悪い子にはムチ」のサンタクロース、
「悪い子はいねがぁ?」と家々を回る秋田県の「なまはげ」なども
含まれてはこないだろうか。
「良い実を結ばぬなら伐ってしまうぞ」などの責め句で
脅して成長を促す「成り木責め」の発想であり、
脅す対象を、樹木から人間の子どもへと転換させている。


上記リンクは、兵庫大学の資料から。
「成り木責め」についての論文。
この論文では、アジアの新年の豊穣儀礼として、
新嫁の尻を子ども達がたたく例があげられている。

同様に考えれば、
猩々が秋祭りや節分の日に、
大きな赤い手で子ども達の尻をたたいたり、
頭をなでたりするのは、
子の健やかな成長を祈願する古来からの豊穣儀礼の、
世界的に大きな流れを汲んでいるのだと理解できる。

日本の愛知県にも伝えられている「猩々」が、
「古代の豊穣神の面影」
であることは、間違いない。
どのような伝播の過程をたどってきたのかは、
たとえ謎のままだったとしても。




 

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TITLE: 太陽・墜落する若者・天の父

CATEGORY: 神話雑記 DATE: 02/03/2016 00:45:40


「おひさまをほしがったハヌマン」という
インドの大画家ラマ・チャンドランの絵本がある。

昔、インドの風神ワーユの息子ハヌマン(猿の姿)が、
キラキラ輝く太陽をつかまえようと追いかけた。
それを見とがめた雷神インドラが、稲妻を投げつけたので、
ハヌマンは死んでしまった。
息子の死を嘆き悲しんだ風神ワーユが姿をかくし、
世界の風は止まり、動植物はすべて活動を止めてしまう。
「しまった!」と思った雷神インドラは、
地底で悲しみに沈む風神ワーユを探し出し、
息子ハヌマンをよみがえらせることを約束し、
「この子は、やがて立派な神になる」と告げたので、
喜んだ風神ワーユは再び地上に戻り、
すべての生き物もよみがえった。

およそこんな内容の絵本だった。
ギリシア神話のデメテルとペルセフォネーや、
日本神話のアマテラスとスサノオの物語に、
どこか似ている。

ネットで調べると、
「ハヌマンは美味しい木の実だと思って太陽を求めた」
という説話もあるようだ。


古代中東のナツメヤシにまつわる豊穣儀礼について、
高所の収穫や授粉作業が大変なため命を落とす作業者もいて、
「大地の女神への犠牲」という象徴儀礼の下地になったのでは?
という疑問を抱いているのだが、
まるで私のその疑問に答えるかのように、
インドの猿神ハヌマンは、
太陽(木の実)をとろうとして墜落死し、
のちによみがえっている。

ハヌマンは、「ラーマーヤナ」で大活躍する英雄だ。
猿の英雄といえば、中国の道教の神「斉天大聖・孫悟空」もいる。
アジアの絵本などをみると「猿の民話」は多く、
猿が英雄やトリックスターとして活躍している。
日本では、神話の猿田彦、サルカニ合戦の猿、などだろうか。
ちなみにサルカニ合戦の類話はアジア圏にいくつもあり、


カニ・カメ・カエルなどライバルは変化するが、
「木の実をめぐり、猿にとって残念な結末」という点では一致しているという。
そういえば西遊記の孫悟空は、「不老不死の桃の実」を盗み、
天界に反逆して幽閉されるが、やがて英雄として再生する。

そして、木の実というモチーフ以外に注目したいのが、
「猿=太陽神」としての側面を持つ場合もあることだ。


アジアでは、鳥や猿は天からの使いとされ、
猩々(ショウジョウ)という「猿に似た伝説上の生き物」が描かれてきた。

インド神話では、ハヌマンは太陽を追いかける。
日本の「猿神」は、「日吉神」とも呼ばれている。

ヒエガミ、またはヒヨシガミ。太陽の使いの神、だそうだ。
日光東照宮には、「三匹の猿」の像がある。
豊臣秀吉は、幼名が日吉丸、サルと呼ばれたという。
猿と太陽と王のイメージが結びついている。

一転して、ヨーロッパには野生の猿がいない。
猿が生息するための、果樹の豊富な森林がないからだ。
実をとろうとして樹から落ちる猿神もいない。
ギリシア神話の墜落する若者といえば、
イカロスとパエトーンが思い浮かぶ。

名工ダイダロスの息子イカロスは
地中海クレタ島での幽閉生活から逃れるため、
父とともに、
蝋で固めた鳥の羽根の翼で空を飛んだが、
太陽に近づきすぎて翼が燃え、海に墜落して命を落としたという。

少年パエトーンは、太陽神の父から借りた
太陽の戦車を乗りこなすことが出来ず、
天を暴走したために、雷神ゼウスの投げた稲妻によって、
地上に墜落し、命を落としたという。

命を落とす者が「偉大な父の息子」であり、
若くして天空を上昇すること、そして
命を落とす原因が、太陽・炎や稲妻そして墜落であることが、
インドのハヌマンとも共通している。

ナツメヤシの学名Phoenix dactyliferaには、
地中海沿岸の古代都市フェニキアにちなみ、
「フェニックス」の語が含まれる。

なぜナツメヤシが不死鳥フェニックスと結びつくかというと、
赤紫の実の色が、古くからとても貴重な染料だった貝紫の
ロイヤルパープルとよく似ていたからだという。
貝紫は、地中海沿岸のフェニキアが産地だった。

イカロスが幽閉されたクレタ島も地中海にあり、
ナツメヤシや貝紫の産地だった。

朝焼け夕焼けの空や海を思わせる「貝染めの赤紫の布」は、
やがて皇帝色とも呼ばれ、
一部のごく高貴な身分の人々に独占されていく貴重品だった。

太陽が沈み、また昇るように、
フェニックスは寿命が尽きると炎で身を焼き、
その炎の中から、新たな翼で生まれてくるという。

日没と日の出の「空の色」。
その赤紫の輝きを宿した実が、
「フェニックス」という
ナツメヤシの学名へとつながった。

フェニックスは、アジアでは鳳凰と呼ばれる。
猿と鳥とは、天の太陽の使者。
フェニックス(鳥)は、赤紫の染料と結びつく。
猩々(猿)もまた同様に、赤紫と結びつく。

「猩々緋」というのは、赤紫色のことである。
日本の猩々は、酒を持って海からくる精霊らしいが、
何千年もの昔からナツメヤシの実は酒の原料であり、
古来より地中海は交易が盛んであった。
猩々のイメージの源流は、どこからきたのか、遠い幻想に誘われる。


天をめざし、地に落ちて命を失い、
ふたたび再生するフェニックスやハヌマン。
その姿は、太陽の運行のように力強い。
地中海をはさんで西と東とで物語の違いはあるが、
樹高が高く、収穫や授粉作業に危険が伴うという、
特殊な条件を持つナツメヤシの実をめぐる古い豊穣儀礼が
長い時をかけて各地に伝播しながら、
輝く生命のイメージを織りあげていった過程ではなかろうか。

嘆きの風の声をあげる天空の父や、
憧れて指を伸ばす先の太陽や、
墜落の瞬間の稲妻や、
冥界からよみがえる若者の物語を、
何千年もかけて人々は伝え続けてきた。
海を越え、砂漠を越え、時を越え。
たぶん何よりも伝えたかったはずの、
美しい残照と曙光、その光の織り糸によって。






 

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TITLE: 風神エンリルとナツメヤシ

CATEGORY: 神話雑記 DATE: 01/29/2016 13:42:06

エンリル神についての雑記。

古代シュメールでは、天の最高神アンにかわり、
神々の王として、長く広く信仰を集めたのが「風の神エンリル」だった。

なぜ「風の神が神々の王とされる」のか、いつも不思議に思っていた。
大気がなければ生き物は生きられないから?
天と地とのはざまには、大気があるから?天地をつなぐ風?
う~ん? なんだかピンとこない・・・理由として弱い気がする。
中東方面では、熱砂の乾燥地帯が広がることもあり、
「太陽」というのは、さして有り難くないのだと、
絵本作家の小林豊さんの講演会で聴いたことがある。
「日没」が安らぎで、「月」が人気なのだという。
たしかに古代オリエント世界では、
日没を告げる金星や、夜空を照らす月の女神が人気だった。
豊穣女神のイナンナやイシュタル(月や金星をシンボルとする)は、
神々の女王だろう。
では、なぜ月神シンまたはナンナ(男性神)が神々の王ではなく、
風の神エンリルが、神々の王なのだろうか・・・
そんな長年の疑問が、
「ナツメヤシ=生命の樹=豊穣女神」という
古代オリエントにおける「聖樹信仰」を知ることによって、
いくぶん解けてきた気がする。




フレイザーの「金枝篇」によれば、

古代の人々はナツメヤシの雌雄の違いを知っていて、雄木の花粉を雌木の花にふりかける人口受粉をしていた。
この受粉は春に行われ、ハラン族はこの月を「ナツメヤシの月」と呼び、あらゆる男神と女神の結婚を祝う祭りを行っていた。

という。ハラン族とあるが、イシュタルは大女神ハルと呼ばれていた、と
何かの記述で読んだことがある。


下記は、東京外語大学サイトからの引用。
2007年5月1日のイランの新聞記事。
ナツメヤシの人工授粉について。

「人工授粉の伝統的な方法では、雄しべの伐(き)り取りと採取が、
命の危険すら感じられる非常に過酷な状況下で、
長い経験をもつ熟練した人々によって行われています。」

21世紀になっても、危険な人力作業によって
伝統的なナツメヤシ授粉が行われていることを問題視した記事である。
現代でこそ機械化も導入されている
ナツメヤシの人工授粉であるが、
数千年の伝統を持つ「木登り職人」の存在が
連綿と今に続いていることが、よくわかる記事でもある。

かつてシルクロードの隊商は、干したナツメヤシの実(デーツ)と
ラクダの乳だけで、砂漠の旅を乗り切ったという。
今でもイスラム世界のラマダン(断食月)には、
日没後にデーツとミルクを食する習慣があるという。
ナツメヤシの実は、まさにオリエントの「生命の実」だった。

そして「人工授粉の知識と技術」を人々が得る前には、
ナツメヤシの雄株と雌株の「自然授粉を媒介」するのは、
「風」だった。
風は、生命の樹を揺らし、甘い実を実らせてくれる、
神秘で偉大な働きだったのだろう。
また、ラクダを移動手段とする以前、
古代シュメールでは、「船」が主要な交通手段だった。
「船旅」を導くのも、風である。


風向きに応じて「航海・ナツメヤシ栽培の兼業生活」を営む人々の
記憶を伝える現代のレポートを、上記アドレスで見つけた。

「風の王エンリル」が
古代シュメールにおいて「神々の王」であったということは、
ナツメヤシを実らせ、船の帆をふくらませる
「活力の源=風」だったということなのだ。
そう考えれば、気候・風土の中で、
知恵と技術をもって生きた古代の人々の心に、
「風の神」がいかに深く根づいていたか、
想像することは難しくない。

現代でも危険な作業である、
ナツメヤシの人工授粉や
果実の収穫作業は、
古代社会において犠牲を伴うものだっただろう。
樹高が10メートル以上になり、
樹木の頂上部にしか実をつけない。
木登りの際には、命綱をつけたり、
樹下にネット(網)を広げたりしたのだろうか?
あまり資料が見つけられない。
下記は、ウィキペディア「とび職」の項。


現代の日本で、
古代ナツメヤシ栽培に関わる作業者に
近い職種といったら、
園芸関係の職人さんや、
とび職の危険な作業に関わる方達だろうか。

ナツメヤシの豊穣女神イシュタルに関しては、
春に若者が人身御供に差し出されたという記述を
随所で見かけるけれども、
ナツメヤシの授粉作業で墜落して命を落とした若者の伝承は
見つからない。
大地に流れる犠牲の血が、豊かな実りを約束する・・・
もしかしたら栽培に関わる作業が危険なことと
女神への犠牲の神話は通底しているのかもしれない。







 

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TITLE: 「成り木責め」memo

CATEGORY: 神話雑記 DATE: 01/28/2016 13:31:37


「成り木責め」という風習が、
古今東西に広がっている。
フレイザーの「金枝篇」で、私もちらっと読んだことがある。
主に東アジア圏の風習について、日本も含めて
詳細に研究した論文を、ネットで見つけた。
兵庫大学の資料から。



愛知県の奥三河地方にも残っている。
JA愛知東のホームページから。



誰でも知っている「成り木責め」の例は、
昔話「サルカニ合戦」の
「は~やく芽を出せ、柿のタネ♪
出さぬとハサミでちょんぎるぞ!」
の詞だろうか。



どうやら最古の例は、
シュメールのナツメヤシの
豊穣儀礼にまで遡るのかもしれない。
以下は、ナツメヤシ文化について。
金沢大学の資料から。
とても分かりやすくて興味をひかれた論文。




聖書のマタイ福音書 第3章より

3:10 斧がすでに木の根もとに置かれている。
だから、良い実を結ばない木はことごとく切られて、
火の中に投げ込まれるのだ。


有名な聖書のこの語句も、
ナツメヤシの豊穣儀礼をもとにしているのかもしれない。
良い実を結ばぬなら伐ってしまうぞ、と脅す
「成り木責め」の豊穣儀礼だ。
そして、豊穣を祈り
木でつくった像を火に投げ込む新年の儀式も
古代オリエントの王宮では行われていたという。



 

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TITLE: ナツメヤシ=生命の樹

CATEGORY: 神話雑記 DATE: 01/26/2016 11:09:26


大寒波の到来で、
週末の休日も公園に散歩に出かけるでもなく、
ネットサーフィンしてました。

外は寒いんですけれども、
心は砂漠のオアシス……
あっちゃっちゃ~てな感じで
焦りまくっておりました。

やばい、まずい、いや甘くて美味……
デーツだ、干柿だ、
ナツメヤシだ、小正月の成り木責めの風習だ……
なんで今まで気づかなかった……
あちこち色々書いてあったの、
断片的に知ってたじゃん……
完全に意識から抜け落ちてたし、回り道した。
うをおを~(心の叫び)

最近、紛争地帯と化して
テロによる神殿爆破ニュースが流れた
「パルミラ遺跡」

パルミラの地名はナツメヤシに由来する。
ナツメヤシは
「聖書の生命の樹」の原イメージかもしれない、
ってことまでは活字情報として知っていました。
で、
そのナツメヤシの実が、
「デーツ」っていう干柿に似た味のアレだった、って
知って衝撃。
アレか、あの味か……
リンゴでもなく、オレンジでもなく、干柿か。
女神さまの果実、タマラ。
ひたすら甘い。

そして、初めてナツメヤシについて検索。
こんな姿の樹なんですね。
こんな串に連なる「玉すだれ」みたいな実で、
こんな白い房みたいな花で、
こんな翼みたいな噴水みたいな葉っぱをつける樹で、
そのカタチは
重要なモチーフとして
中東やエジプトや、ギリシア・ローマでも
描かれたり、刻まれたりしてました。

乙女座の女神が手にしているのは、
羽根じゃなくて、
ナツメヤシの葉っぱだったんですね。





涙……もっと早くきづけよ自分。
ウィキペディアにだって、
ちゃんと書いてあったじゃありませんか。
乙女座の女神が手にしているのは
麦の穂と、ナツメヤシの葉。
そう、ナツメヤシは豊穣の女神のしるしだったんだ。
そして、再生や勝利のシンボルでもあった。



伝統的な神話観からすれば、
こういう場面で
魔術師が手にすべきなのは、
白い羽根ではなく、
「常緑の葉」
だったってことだよ……



「生命の樹」が、
神話の世界では
重要なイメージだと知ってはいたけれども、
どうしても
西洋の「トネリコ=ユグドラシル」や
仏教の「菩提樹」など
太い枝を張っている樹木のイメージがあって、
砂漠のオアシスの「ナツメヤシ」には
思い至らなかったよ。

ナツメヤシを撮った写真をネットで探せば、
一目瞭然……「生命の樹」だよね。
たくましい幹も、
たわわに垂れ下がる実の房も、
1年に12枚つけるという緑の葉も。
すべてが人の暮らしの糧となり、資源となる、
大切な宝であること。
理屈抜きで納得しました、この樹は女神の似姿。




抜け落ちていたパズルのピースが大きすぎて、
ちょっと収拾つかない(^^♪




 

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TITLE: FFFTPは魔法の杖

CATEGORY: 神話雑記 DATE: 01/09/2016 19:18:48


神話について
とりとめなく妄想を続ける
「神話雑記」

内容のほとんどは、
Facebookへの
携帯メール投稿。

ガラケーからの気楽な書き込みで、
字数制限がある短文。
および写真。
この方法が、
自由な連想を助けてくれた。
でも、散漫になってしまう弱点。
てんでバラバラなパズルのピース。
もう少し、内容を掘り下げてまとめたいな……
と、ずっと思っている。

FFFTPという転送ツールがある。
これを使うと、あっという間に
サーバーから自分のパソコンへと
ホームページのデータをまるごとダウンロード可能。
ウェブサイトとローカルパソコン、
双方を同期させ、ミラーページを作ることも可能。
今までの「地道な手作業」はなんだったのかしらん……
転送ツールによって、データのバックアップはいとも容易に。

さらには、このFFFTPによって、
パソコンで作ったローカルなデータを
サーバー上のホームページに反映させることも
可能だという……まじですか。
まさに、そんな何かを求めていたんです!

こぎれいなテンプレートからは
はみ出してしまいそうな、
メモ書きやらグダグダ長文やらイラストやリンク貼りを、
たとえばワード文書?で作って、資料として
ホームページにつないで置くことも出来るのかしらん?
もうホームページ全体の骨格は
HTMLで作ったから、
今度は自由連想&周辺データな感じで、
「神話雑記」の内容を深めていきたいな……

ワンノートとは相性悪くて?
ワンドライブは何かにつけて必要で。
FFFTPは、使ってみたら
「あ、これだ!」という感触。

ウェブとローカルをつなぐツールも多様で、
どれもこれも試行錯誤……

いろいろ慣れない……でも
デジタルな「魔法の杖」を
すっかり手放すことも出来ない。

なぜだか無性に、白い紙にペンや絵の具で
イタズラガキしたくなったり。




 

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TITLE: 言葉の旅

CATEGORY: 神話雑記 DATE: 12/07/2015 01:51:48


ここ1カ月ほど、デジ絵にはまり、
その前の1カ月ほど、ボーカロイドにはまり、
文章修行とは言い難い日々だった……

なにゆえ「文章修行しなければ」と
思っているかといえば、
今は亡き恩師の二上洋一先生が、
よくお手紙に「文章修行」「精進」って
言葉を書いて下さっていたから……かな。

なにゆえ、二上先生と出会ったかと振り返れば、
大学の児童文学のサークルや研究室にいたからだし、
児童文学や宮沢賢治が好きだったから。

でも、もっとよく思い返せば、
児童文学サークル「あかべこ」には、
入学当初、クラスで出席番号が前後していた友人に誘われ、
部室をのぞきに行っただけ。
ちょっとついていっただけ、
友人に付き合っただけのつもりで、
ほんとは
美術部に入って油彩を描くつもりだった……

絵も文章もそんなに上手くないし、
いつも中途半端なところで手を抜いてしまい、
趣味だからい~んだ!と開き直っていた。
なにゆえ美術部に入らず、
児童文学創作サークルに在籍していたのか、
といえば、ほんとのところ成り行きまかせだったかも。

ピアノは下手で、練習つらい。
お絵描きは描いていれば楽しい、でも下手だ。
ポエムなんて、軟弱だ。でも書いてみれば、いわゆるポエム。
古文や純文学は、敷居が高い。

と、たぶんハタチ前後の自分は、思っていた気がする。

ところが、どこかのタイミングで
「文字」「言葉」というものに強烈に魅かれ始めた。
それは、「神話」「物語」への興味という形で訪れた。
調べは消え去る。
物の命も消え去る。
けれども、言葉はそれを再現する。
聞いたこともない歌を、聴いたように思い、
見たこともない風景や、
会ったこともない人物に、
出会ったような気持ちになる。
ただの記号の連なりに過ぎない言葉によって、
まるで時空間を旅したような余韻が残る。
異国の砂に埋もれた、古代の粘土板の物語は、
何千年もの時を経ても、
けっして、その生命を失ってはいなかった。
それが不思議でならず、
人の心は、昔も今も
あまり変わっていないように感じた。
今は昔……の
物語。

「自分にとって、いちばん関心が深いのは
言葉によって表現された世界だ」
と、いつかどこかで
強く心に思ったときがあったから、
今の自分でいる。
それもまた、移り変わっていくのかもしれないが。

石や粘土板に刻まれた物語は、
はるか昔に刻まれた姿のまま、
これから先の時も越えていくのかと思うと、
まるで広い空に吸い込まれるような
畏敬の念を、覚えてやまない。




 

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TITLE: なゐの神

CATEGORY: 神話雑記 DATE: 06/03/2015 12:00:26



最近、地震のニュースが多い。大きな地震は、たしかユーラシア系の神話では、世界を支える三匹の魚のうち一番大きな魚が暴れて起きる。北欧神話では、ロキが縄で縛られ、滴る毒液の苦痛に耐えかね身をよじって起きる、など。
地震多発の日本列島では、どんな神話があるのかと検索したら、地震の起源譚は、文字によっては残されていない (古事記や日本書紀などに記されていない)。火山活動が活発で、大きな地震にたびたび見舞われてきた、この日本列島で……?

599年、推古天皇の時代、奈良地方で大きな地震があり、各地の神社で「なゐの神」を祀らせた。「なゐ」とは大地の意味あるいは転じて地震の意味。が、「なゐの神」とは、海の神・山の神などと同じで、個別の神の名ではないという。(ウィキペディア)


今に伝わる日本神話が、渡来文化の影響を受けた、比較的新しい文献であることを痛感する。地震国の神話なのに、地震の起源譚が「ない」とは!
ついでに妄想……「なゐ」なら発音は、「なうぃ」となる。南方ポリネシア系の神話で活躍する神「マウイ」あたりが語源だったら面白い。国語学者の大野晋さんによれば、日本語の基底には、南方ポリネシア系の言語・神話・文化の影響があるという。

マウイは、釣り針で海洋から島々の大地を釣り上げたという。
西洋の「漁夫王伝説」をも彷彿とさせる、雄大な神だ。
西洋の漁夫王は投網を使い、南方系神話のマウイは釣り針を用いるといった、伝承の差異も興味深い。


古典にも記されていない「なゐの神」の祀り方 (地震国での文化の築き方) を、日本列島の民は、今一度さがす必要があるのかも……なんてね。





 

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TITLE: 神話雑記・INDEX

CATEGORY: 神話雑記 DATE: 05/31/2015 01:04:54

ホームページに、「神話雑記・INDEX」をUPしました。
フェイスブックで少しずつ書いていた雑記です。
もしお時間ありましたら、どうぞ御笑覧くださいませ。







 

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TITLE: オルフェウス

CATEGORY: 神話雑記 DATE: 03/15/2015 13:03:19



 オルフェウスは、亀の甲羅に7本(または9本)の弦を張った竪琴を奏でた。
 彼の死後、竪琴は獣帯(黄道12宮)の中心に置かれ、琴座となった。
 もとはヘルメスが亀を食べ、その甲羅に2本の葦と7本の弦を張ったもので、竪琴(リラ)の発明以前には、笛しか存在しなかったという。
 オルフェウスは、生け贄に反対し、早朝の丘で日の出を拝む宗教の祖となった、とも伝えられる。
 ところで、彼の竪琴が亀の甲羅なのも、象徴的な意味があるかもしれない。
 亀甲文様(6角形)は、神社や家紋で使われる。古代、中国や日本で亀の腹甲を焼いて占う祭儀は、国家行事だった。

 亀の甲羅の文様や、蜘蛛の巣、あるいはミツバチの巣など、自然界にある形から、古代の祖先達が、規則性や調和の美を発見し、生活に応用していった過程は想像に難くない。
 八卦図やホロスコープなど、占術の盤面図は、どこか蜘蛛の巣に似ているかもしれない。あるいは、亀の甲羅の文様に……

 オルフェウスの竪琴の亀は、海亀だったとも伝えられる。
 水や海洋、そして網目文様を想起させる海亀の竪琴。
 その竪琴には、吟唱するオルフェウスの詩才を愛でたヘルメスが、自ら発明した楽器をオルフェウスに贈った……という逸話も残る。
 アナンシ……ヘルメス……オルフェウス。
 オルフェウスが、知恵(網)と水と物語の神アナンシ(アフリカ発祥の蜘蛛男)に、どこか遠く連なる存在であるような気がしてくる。





 

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TITLE: 漁夫王

CATEGORY: 神話雑記 DATE: 03/15/2015 12:42:25



漁夫王(いさなとりのおう)とは、アーサー王伝説の聖杯探求に登場する「傷ついた王」。
キリストを刺した「ロンギヌスの槍」によって、癒えぬ傷を負い、王国も荒廃している。
一説には名をアンフォルタスという。
アンフォルタスは、水の女神達(アナヒタ、アンフィトリテ、アフロディテなど)と語感が近い。
もとは水や海洋の神への信仰だった名残りが、キリスト教の時代に「中州城に住む漁夫王」へと発展したのだろうか。
漁に使う網は、古代には貴重な先人の知恵だっただろう。
水と網の神といえば、太古の蜘蛛神の系譜だ……聖杯伝説の中核に太古の神。





http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=漁夫王&oldid=46968463

漁夫王 - Wikipedia

漁夫王(いさなとりのおう、フィッシャーキング、Fisher King)は、アーサー王物語に登場するカーボネック城の主。本名はペラム王で、またロンギヌスの槍によって癒えない負傷を得たことから、不具の王(Wounded King)などとも呼ばれる。王が病むことにより王国も同様に病み、肥沃な国土は荒野へと変わってしまう。王の病を癒すために勇者たちが「聖杯」を探しに赴き、そのうちの一人が聖杯を探し当て王と王国を癒すことに成功する。

ja.wikipedia.org





 

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TITLE: 新年の雑感

CATEGORY: 神話雑記 DATE: 01/07/2015 16:28:06


古代、クモやカエルやムカデやヘビも神様だった。
昔話「舌きりスズメ」や「おむすびころりん」等で、正直なおじいさんは異界の土産に「小さいツヅラ」を選び、中から金銀サンゴなど宝物が出てくる。
欲張りなおばあさんは「大きいツヅラ」を選び、中からムカデやヘビなど不気味な生き物が出てくる。
勧善懲悪の教訓譚と思っていたのだが……
ヘビもムカデもカエルもクモも、かつては偉大な神様だったとすれば?
金銀=宝という現世的な価値観の束縛を解いてみれば……身近な異種の命に神をみる視点は、豊穣の女神の贈りもの・大地からの問いかけだろうか?




 

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TITLE: 石の蛇

CATEGORY: 神話雑記 DATE: 01/07/2013 15:22:30


名古屋市昭和区にある
「川原神社」
……飯田街道 (江戸時代に栄えた旧街道)沿いに
沿いに鎮座する氏神さまです。
創建は平安時代とのこと、
1000年以上の歴史を刻む神社です。


本殿右隣りにある稲荷社の赤鳥居、
その傍らにひっそりと龍神社が奉られ、
小さな石の蛇が3匹、
とぐろを巻いて眠っています。
お稲荷さんに、龍神さま。
土地の農耕の守り神として、
ずっと川名村の歴史を見守って下さった
神様なのでしょう。
豊饒神のカップル=
雨の恵みと洪水の災いをもたらす雷神(龍神)
と、
大地の実りをもたらす穀物神(稲荷)
の、
お社が仲良く並ぶ姿に思われました。





 

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TITLE: 赤い鳥居

CATEGORY: 神話雑記 DATE: 01/07/2013 15:12:11



ひとりでくぐる
   赤い鳥居
どこまで続く
  林の暗がり

奥まで続く
   赤い鳥居
お稲荷さんの
  おやしろの

白いお顔と
しっぽに会いに


        (ジオログ・2010.8.1より再掲)




 

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TITLE: 知恵の実

CATEGORY: 神話雑記 DATE: 12/13/2012 01:30:19



昔々

輝く実を
幼い子らに
分け与えるため

大地の女神が
銀の月の
ナイフを使うと

剥かれて
くるくる
落ちて行く
果実の皮が

知恵ある黄金の
蛇となって

蛇は幼い子らに
生命の樹について教え

途切れることのない
物語を
語り始めました……

……人類と
「知恵の実」との関係が、
こんなふうに始まれば
いいのにな……
と、ふと思った。
そんな神話や伝説が、
どこかに残され、
描かれているかしらん?




 

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TITLE: 始まり

CATEGORY: 神話雑記 DATE: 11/29/2012 14:20:12




…始まり…

時計台に
時計はまだ
置かれて
いなかった

天使を記した
若葉色の
ページが
散乱し

七曜の
羽ばたきが
結晶する

虚を蹴って
つむがれる
言葉の弦

四方に八方に
あなたの歩む方向に

喪失はヴィジョンの
果てなき影に過ぎない

未だカタチをなさぬ者
ちりあくたの中から隆起せよ

…(2002.7.31発行 冊子「星の文字」より)



シヴァ神は、破壊と再生を司る。
聖書の神は、
我はアルファなりオメガなり、
と語る。
古来より終末のイメージには、
再生のドラマが組み込まれてきた。
語り継がれた悲劇の話者は、
生き延びた人々であるのだから……

予定調和と批評するのは簡単だ……
けれど物語は、どんな終局からも
新たな始まりを語る。
殊にファンタジーは、そうしたツールだった。



 

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TITLE: 紺碧の……

CATEGORY: 神話雑記 DATE: 11/29/2012 14:10:46




どうしても
思い出せない
言葉があって
なぜかとても
気になって、
心は
水平線やら
雨雪やら
海亀やら、
色々な言葉を
さまよって、
忘れた頃に思い出した
……「ブルー・マーブル」、青い大理石
……宇宙から撮った地球の写真は、
白や茶のマーブル模様が入った、
紺碧の大理石球のようだったという。



※「雨の少年神」

終末に訪れる天使。
海と空の化身。

神(デーヴァ)は、
悪魔(デヴィル)へと
いつしか易々と入れ替わる。
それゆえ名は重要ではない、
ゆるぎないものは
彼の呼ぶ嵐。

彼は嵐の精…
電光の矢を放つ破壊者。
純白の古代の衣装は、
すでにウランやプルトニウムで
汚染されている。

雨の少年神は、
時の門番となった。
うれいに満ちて、
原子雲の炎を宿した街を
忘れ川の水底に
封印しようとするけれど、
少年の服はいつまでも
黒く汚れたままだ…
乱れた髪から
潮のしずくをポトポト落とし
記憶の土砂降りに
打たれ、たたずむ。

喪服に身を包んだ彼が、
黄泉の水門で
番人となって久しい。

天を裂くモンスーン、
波立ち渦巻く少年の髪、
修羅の記憶の中で
炎上した街は
変容する、
ひとりの少女の面影
ひとひら舞う雪花片へと…

あめゆき
とってきてください…


※(2010.11.23 ブログより再掲載)



 

 

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TITLE: 光の妖精

CATEGORY: 神話雑記 DATE: 04/28/2012 09:14:43



天空(父神)と
大地(母神)を
つなぐ息吹……
精霊、
エーテル、
気……
様々な言葉・
イメージで
語られた生命の
輝く本質。
たとえば同じ
神の名でも、
時代・地域により
正邪の価値が
逆転していくように、
神々の相は、
人の世の
部族・国家の争い、
神殿や神官の権力の
推移を反映し、
きわめて政治的なものだ。
その一方、
学者気質な少数派が
空を見上げて夢想した、
現世を超えて普遍的な、
目には見えず手にも取れないが、
世界に充満・遍在する何か
光に満ちた軽いもの……
幻惑的な精霊の息吹が、
やがて
民の素朴な自然崇拝に触れ合い、
魅力的な妖精伝承を生み出していく。




 

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TITLE: 大地母神

CATEGORY: 神話雑記 DATE: 04/23/2012 11:21:44




父なる天空神は
雷の矢を放つ
闇の導者。
対になるのは、
豊穣なる大地と
月の女神。

天空神(雷神)と
大地母神の
組み合わせは、
どうやら普遍的な構図。
日本の
イザナギとイザナミも、
そうかもしれない。
万物の母イザナミの死には、
雷電のイメージが濃く、
夫イザナギは冥府に下った後、
生死の境界を分け、
大岩で黄泉への道を封印する。

豊穣の女神は、
冥界の女王の顔も持つ。
闇を走る稲妻、黄泉への旅。
父神・母神は、
ときに凶暴な相で、
古代の人々を畏怖させた。

神話とは、
人知を超えた
危険な世界に対峙する、
祖先達の魂の地図
……盲目の信心とは違う。

ときとして神話は、
世界の存亡に関わる
危険な旅路をも物語る。

「安全神話」という語は、
天地への畏怖を忘れた現代人の、
矛盾に満ちた言葉遊び
に感じられてならない。




 

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TITLE: 北欧の伝説

CATEGORY: 神話雑記 DATE: 04/15/2012 10:01:02



宇宙樹の
根元の海から
生まれた
輝く三姉妹、
織り姫と呼ばれ
やがて全知
であることから
死や運命の司
へと転じる。

宇宙樹の根元の
泉にいて、
悪蛇に食い荒らされる
その根に毎日、
泉の水を運んで与え、
巨木を守っている。

彼女らに
魔法を教えたのは、
母なる月の化身、
豊穣の古き女神。

三姉妹の使者は、
春を告げる白鳥である。



 

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TITLE: 3匹の魚

CATEGORY: 神話雑記 DATE: 03/10/2011 18:52:56

「福島子どもの本をひろめる会」の「幼な物語部会」で、
5月例会のレポーターを、担当予定。

テーマは、『龍の子太郎』(松谷みよ子作)を中心に、
世界中に分布する「3匹の魚」の神話・伝説を考える・・・

な~んて、大雑把な見通しで設定してしまいました。
「そろそろ準備しなくてはっ(汗)」
と、半日インターネットで、とりあえず検索・検索・・・

うわ~ん(涙)
テーマでかすぎた~!!! 。。(>_<)。。

モンゴルの神話では、3匹の魚は、天地を支える始原の柱。
3匹の魚が、大地を支えきれずに身をよじると、地震が起きる。
(おお、昨日の宮城沖の震度5は、お魚さんの仕業だったのか!)

メソポタミアの粘土板の、世界最古の物語中にも
「3匹の魚」が登場・・・ルガルバンダ王子に告げられた
女神の謎かけに、「神の池で遊ぶ3匹の魚のうち、
一番大きな魚を器に入れて、神にささげなさい」という言葉あり。
・・・でも、謎解きの部分は見つかっていない、とか。
最古の解答、どこかから出土してクダサイ。

ヒマラヤの口承物語にも、「3匹の魚」。
この魚は、三ツ星の女神の化身・・・ロマンティックだな~。

欧州では、「地の果ての井戸」に住む「3匹の魚」が、
「3つの生首」「3匹の金の魚」「森の奥の三人の小人」などの
類話を伴って、伝承されている・・・
「勧善懲悪」で恵みや災いをもたらす
「運命の分配者」的なその語られ方が、北欧神話の
「知恵の泉・運命の3女神」に通じる、という本格的な考察もあり。

日本にも、「三匹の魚」を食べて喉が乾き、川の水を暴飲して
「龍」に変身してしまった「八郎」の物語が・・・
↑このタイプの民話は、東北に分布し、
秋田の田沢湖の「辰子」伝説なども、同型のお話。

肝心の「信濃の小泉小太郎伝説(龍の子太郎の原話)」では、
小太郎のお母さんは元々が龍であり、正体をかくして、
お寺のお坊さんを毎夜たずねる、異類婚(へび婿)の一種。
「3匹の岩魚」を1人で食べた罰で「村娘が変身した」というのは、
「八郎」伝説を加味した、松谷みよ子さんの創作だった模様・・・
あらら、う~ん、ややこしい。

「貴重な食糧を、独占して食べる→龍になる」っていうのは、
むしろ戦中・戦後の、「昭和の食糧難の記憶」からの教訓だったり?

ちょっとパソコンで検索しただけで、
面白い「3匹の魚」が、ザクザク出てくるのは
ワクワク体験だね・・・でも
図書館で、資料を探してまとめるのは難儀な作業の予感・・・

3女神、知恵の泉、龍神、始原の怪魚・・・
幼な物語の『龍の子太郎』からは、大きく逸脱するような、
ファンタジーってことで、ザクッとまとめられそうな。
・・・頭の中を、3匹のお魚さんがチャプチャプ泳ぐ~♪



 

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TITLE: 御鏡さま

CATEGORY: 神話雑記 DATE: 01/06/2011 18:45:36





カガミモチは、
とぐろを巻いたヘビを
表しているのだと
民話や神話に詳しい
大先輩から
伺ったことがあります。

大野晋さんの『日本語の源流を求めて』によれば、
   (岩波新書 2007.9.20 第一刷発行、p.147)
スリランカの新年のお供え餅は、
ベテルの葉の上に、4段重ねの丸餅、そして最上部に
バナナとレモンとマンゴウの果実を飾るのだそうです・・・

カガミモチって、アジア伝来の文化だったんですね。

我が家では、ここ2~3年、キルト布でつくった
手製ぬいぐるみの「御鏡さま」を飾っていたりする・・・

だって、子供会で皆で作ったお餅や、
年の暮れ、信州のおばあちゃんが送ってくれるお餅ほど
市販のカガミモチって、美味しくないんだもん、でも
ちょっと伝統の破壊なのかも・・・



 

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TITLE: 冬のさなか春を待つ樹

CATEGORY: 神話雑記 DATE: 12/25/2010 22:52:45




樹木は、
炎の源になるので
太陽神・光明神と
同一視されました。
冬の太陽が
弱った力を回復し、
やがて来る春に
再生することを願い、
さまざまな祭祀や
儀礼が、古代から
とりおこなわれてきた
のだそうです。

長い夜や雪を越えるために、
必ず訪れる春の陽光を信じ、待ち望む・・・
そんな
昔々から連綿と続く「祈りの形」が、
クリスマス・ツリーに輝く、金の星や玉飾りにも
映し出されているのかな・・・

今夜はしんしんと雪が舞い、福島市も雪化粧・・・
本格的な冬の到来です。

フレイザーの『金枝篇』が、読み進められない。
来年の宿題に、持ち越し・・・
冬ごもりの間に読んでいこう、春を待ちながら。



 

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TITLE: 金の枝が紡ぐ夢

CATEGORY: 神話雑記 DATE: 10/06/2010 13:28:14

「本格的な古典に挑戦!」と
枕元に置いて、夜な夜なページをパラパラめくり、
そのたび「夢の国行き・眠り舟」への
乗船切符、と化している本
    ↓
『初版 金枝篇』(上)(下)
 (j.G.フレイザー著 吉川信 訳 
   ちくま学芸文庫 2003.1.8、2003.2.10 各第1刷発行)

本の帯につけられた言葉・・・
「社会人類学最大の古典 蒐集と分類に捧げられた圧倒的な情熱
 膨大な註を含む初版完訳。全二巻」(上)

「『金枝』の秘密/王殺しの謎
 ネミの森から始まった人類史のオデッセイ
  いよいよ大団円。全二巻完結」(下)  

(@_@)/~☆

あまりにも有名過ぎて、手をつけていない・・・という本が
過去からの宿題として幾冊も積まれ、その中のデッカイ懸案事項。
この秋には読む・・・なんとしてでも読破する!
たとえ幾度、眠りの海底に沈没してでも。

やっぱりファンタジーだのメルヘンだのフェアリーテイルだの
神話だの色々いうからには、一応これだけは読んどくべき、
っていう本・・・(今まで読んでなかった訳です、ハイ)

そして・・・まず結論部と、解説から先に読んでしまいました。

「金の枝とは。古代ヨーロッパを覆い、神格化されていた
オークの森、そのオークの樹に寄生するヤドリギのこと。
オークの樹の精霊は、光明神であり(木の摩擦熱で炎が生じる)、
季節の実りをもたらす太陽の運行を象徴し、穀物神でもあった。
オークの樹の生命は、
冬でも青々としているヤドリギの中に護られ、宿っている。」

「北欧神話の光明神バルデルは、巨人族ロキの策略にかかり、
ヤドリギで作った矢によって、命を落とした。
バルデルは、オークの樹の精霊であり、
ヤドリギが、バルデルに致命傷を与えることが出来たのは、
逆説的に、ヤドリギに光明神の命が封印されていたことを示す」

「黄金のヤドリギは、豊穣のしるしとなる」

「樹霊・穀物霊の化身である王。
その象徴である木や人形などを
いけにえに捧げ火葬したり、
穢れを水で浄化したりする儀式は、
光明神・豊穣神に、新しい生命力を与え、
年ごとの実りを願う、古代からの普遍的な心情に由来する」

おおまかに書くと、こんな内容・・・らしい。
しかしながら、詳細を読むことに意義があるので
精進した~い・・・眠らずに♪

こういう古典を読むと、神話的な解釈のカンがついて、
たとえば日本の『古事記』などを読むときにも、
とっても役立つのです・・・


わらべ唄や昔話には
一粒ずつ黄金のしずくが
眠っている

詩が 黄金のかがり火を
呼び覚ます

イエイツがケルトを呼び覚ましたように
和物語にも まだ眠っている「うた」がある・・・

とんと昔
今は昔
あったとさ

語り伝えの国から来て
夢のいざないのまま旅し
たそがれの果て目指す宝船

とっぺんはらり
どんとはらえ
あったとさ





 

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TITLE: 夏祭りの頃・・・

CATEGORY: 神話雑記 DATE: 08/01/2010 11:35:53

近所の神社で、毎年「茅の輪くぐり」が行われ、
同時に 紙の人形に名前を書いて穢れを払ってもらう、
という夏の祭事があります。
気がつけば、地元のこの夏祭りに、まだ一度も参加していません。

故郷の名古屋での夏祭り・縁日が、なつかしく思い出されます。
名古屋の地元では、夏の祭礼は「あかまるさん」と呼ばれ、
家族そろって、宵に神社にでかけました。

子ども達は、額の真ん中に朱印を押され、頭を垂れ、その頭上で
少女の巫女さん達が、かざした扇ごしに鈴を振って、
病気や禍などの、穢れを払ってくれたのでした。
もちろん、子ども時代のことですから、
神事のいわれ等よりも、水飴や綿菓子、お面や輪投げなど
電燈に照らされ、境内ところせましと並ぶ屋台の魅力に、
幻惑されっぱなしで、懐の銀貨の残り具合に、
いつも 頭を悩ませておりました・・・

亀がたくさんいる弁天池の、濁った緑色の水や、
神社の奥の林に、ひっそりと祀られていた、お稲荷さんの鳥居・・・
幼い頃から幾度も遊んだ神社の境内が、
今でも、はっきりと目に浮かびます。
名古屋の街中だったので、神社は、子ども達にとって、
大きな樹や古い池に囲まれた、貴重な遊び場だったのですね・・・

現在暮らす福島市は、地域にいながら、
豊かな自然や伝統文化に 触れることが出来て、
子育てには恵まれた環境です。 あまりに恵まれ過ぎていて、
東北の「茅の輪くぐり」という 貴重な祭礼を、
毎年の夏、なんとなく見逃していたのでは・・・ と、
今頃になって気がついたり。
灯台もと暗し・・・来年の夏こそは、出かけてみようかな。
ファンタジーのネタ探しに、是非とも。




 

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