「この世でおきた出来事は、ひとつ残らず、
ここにあるたくさんのガラス板の上で、生きて動いているのだった。
こんなすてきな絵を灼きつけることができるのは、
時間をおいて他にないだろう。」
「それは、幸福にあふれた、何百万もの人間の顔だった。
みんなわらいながら、歌をうたっていた。
声という声が、みごとに溶けあって、ひとつの旋律をつくりあげていた。」
「広間のまんなかに、かたちのよい枝をたらした大きな木があった。
そして、大きいのから小さいのまで、
大小さまざまな金のリンゴがオレンジそっくりに、
緑の葉のあいだに実っている。
アダムとイヴがその実を食べた、知恵の木というのは、これだったのだ。
どの葉からも、キラキラとかがやく赤い露がしたたっていた。
まるで、木が血の涙を流しているようだ。」
「『では、舟に乗りましょうか』と、妖精は言った。
『ゆらゆらする波の上で、なにかごちそうでもいかがですか。
舟はゆれますけれども、この場所から動くことはありません。
そして、世界の国ぐにが、わたくしたちの目の前を通りすぎていきますわ』」
(アンデルセン童話集 下 アンデルセン作・荒俣宏訳、文春文庫、
2012.7.10第1刷、「パラダイスの園」p.246~p.247より)
「パラダイスの園」を探し求めた王子がたどり着いたのは、
まるでバーチャルリアリティーの「集合知の展覧会場」。
スマホもパソコンも映画もない時代に、
アンデルセンが描いた星の彼方の天上世界は、
ハイテク機器を備えた21世紀の日常風景にどこか似ている。
童話作家に宿る、ヴィジョンの不思議。
たとえば天真爛漫な子ども達が描く夢には、
ときとして未来の光景が先取りされるのかもしれない。