(1)
ツユクサの青い花のむれが、そこだけとぎれて、ふかい穴があいていた。
「ここだったのか、君が落ちてきたのは……」
シノブくんが、のぞきこんだ。
「ずいぶん大きな穴だね……あ、イスルギさん?」
わたしは、シノブくんの声を背中にききながら、穴のしゃ面をすべりおりた。穴の底で、なにかがキラリと光ったのだ。
……とある春の夜、わたしは星くずたちにまじり、オモカゲ山のこの場所に落ちてきた。いま思い出せるのは、それだけだ。
日の光をうつした水面のように、チラチラ光る何か……わたしは、穴の底の土に埋もれたそれを、指でほりおこした。
しめった土につつまれたそれは、細長い、先のとがった六角の柱のような石だった。手のひらにおさまるほどの大きさで、ひんやりと重みがある。
わたしは、穴からはいあがって、シノブくんにその石を見せた。
「これはね、水晶……ふかく埋もれていたから、結晶が大きいし、よくすきとおっている」
シノブくんは、にっこりした。
「オモカゲ山は、水晶がとれる山なんだ。ほら、ここにもひとつ……」
シノブくんが、自分の首にかけたヒモを持ち上げると、ヒモの先には、キラリと光る六角柱の石がつるされていた。
「ぼくがそこらで拾った石より、イスルギさんの見つけた水晶は、ずっと大きくてきれいだね」
わたしは、手のひらの石の、土をぬぐってみた。すずしい光が広がる。
わたしが、どこかから落ちてきて、オモカゲ山の地面にこんな大きな穴をあけ、そして見つかった結晶……いま、手の中にある……それが、ふしぎだった。
わたしが落ちてこなければ、ずっと土にふかく埋もれたままのはずだった……この石を大切にしよう、そう思った。
「おや?」
シノブくんが、首をかしげた。
「風にまじって、誰かをさがす声がするね」
わたしも目をとじて、耳をすました。
「……ミナコちゃん、ミナコちゃーん……」
たしかに、何人もの声が、女の子の名を呼んでいる。
「いまは、小学校の遠足の季節だからなぁ」
シノブくんが、つぶやいた。
「きっと、子どもが迷子になったんだろう」
シノブくんは、自分の髪にさしていた三日月型の飾りをはずし、手のひらでつつんだ。あわい金色の、三日月と小さな渦巻きとを組みあわせたかたちの髪飾りだ。
シノブくんが手のひらをそっとひらくと、その髪飾りは、金のはねのチョウに変わっていた。
「ミナコちゃんって子をさがしてほしいんだ、たのむよ」
シノブくんが、手のひらを宙にさしのべると、金のはねのチョウは、ふわりと風に舞った。
「さぁ、あのチョウについていこう」
シノブくんは、大きな歩はばで、歩き出した。
(2)
ふかい木立ちのはざまを、みえない糸にひかれるように、金のはねのチョウが飛んでいく。
「もう、ここらはユズメさんの庭だ」
シノブくんが、あたりを見まわした。
「ユズメさん?」
わたしが問いかえすと
「そう。オモカゲ山の東には『アズマの宮』、西には『シノブの宮』がある。そのまんなかにあるのが、『ユズメの宮』だよ」
金色の羽ばたきが、ヒラリと目の前をよこぎり、シノブくんが立ちどまった。
「ほら、黒沼だ」
木立ちにかこまれ、水をたたえて静まるその沼は、すいこむように暗い色をしていた。
黒沼のほとり、ぼんやりと水面をながめながら、ひとりの女の子がうずくまっていた。
ふちのついたボウシをかぶり、かわいいピンクのリュックをしょっている。
「ミナコちゃん?」
シノブくんがそっと声をかけると、その子はびっくりした顔でふりむき、ポロッと涙をこぼした。
「やっぱり、遠足にきた小学生だな。先生や友だちのところへ、つれていってあげよう」
シノブくんが手をさしだすと、その子の涙が、ポロポロと止まらなくなった。
心細かったんだね……みんなとはぐれてから、ずっと。
わたしは、思わずミナコちゃんのとなりにかがみ込んだ。
いっしょに黒沼の水面を見つめながら、ふと口ずさんだ。
「彼方でまたたく 夢の星
あわくきらめく 時の石
石をみがいて 星にしよ
涙のかけらも 友にして
闇のしずくを いやすまで」
トロリとふかい沼の水に、さざ波がよせた。
なぜ、こんな歌をおぼえているのだろう。さっぱり思い出せなかった……でも、わたしが歌いおわったとき、ミナコちゃんの涙は止まっていた。
わたしは、ミナコちゃんの髪をなで、なるべくやさしく声をかけた。
「お友だちのところへ行こう?」
ミナコちゃんは、コクンとうなずき、立ちあがった。
「そうだね、行こうか」
シノブくんが、にっこりうなずいたとき……なまぐさい風がふき、木立ちがざわめいた。
ハッとしたように目をみひらいて、シノブくんはあたりを見まわし、ふいにきびしい顔をした。
「イスルギさん、ミナコちゃんをつれて、黒沼からはなれて」
そしてシノブくんは、金のはねのチョウに、声をかけた。
「ユズメさんを呼んできてくれ、今すぐに」
ふわりとチョウが飛びたつと、シノブくんは首にかけたヒモを、グイッと引っぱった。ヒモがちぎれ、胸もとにあった水晶が、シノブくんの手の中に落ちた。と、その水晶が、みるみる輝きはじめた。
とまどっていると、シノブくんが強い力でわたしの手を引っぱり、木立ちの奥を指さした。
「いそいで!」
わたしは、ミナコちゃんの手をとり、かけ出した。
「なぜだ、もう千年以上ずっと眠っていたのに……」
黒沼に背をむけ、かけ出したわたし達。背中ごしに、シノブくんのとまどったささやきが聞こえた。
(3)
なにがおこるのだろう?
胸さわぎがして、わたしはふりかえった。
黒沼が波だち、水面がもりあがり、わきおこった水ばしらの中から、天を突くような黒い生き物があらわれた。
それは、無数の足をもつ大ムカデで、うねりながら沼からはい出してきた。
シノブくんの手の中で、水晶がかがやく剣になった。
「ひさしぶりだ……なぜ今ごろ目覚めたんだろう?」
そうつぶやくシノブくんを、大ムカデは、らんらんと光る目玉でひとにらみした。そして、黒い波頭となってすべり、キバをむき、のしかかるように打ちよせてきた。
それをかわしたシノブくんが、まるで波のりをする身のこなしで、黒光りする大ムカデの背に飛びうつった。
「わるいけど、また眠ってもらう」
シノブくんが、両手でにぎった剣を、大ムカデの背に突きたてた。けれど、黒がねのようなその体から剣ははじかれ、シノブくんは沼の中へと、はね飛ばされた。
水しぶきをあげて落ちながら、シノブくんがさけんだ。
「イスルギさん、なにしてるんだ、はやく逃げて」
大ムカデが、するすると、こちらに向かってきた。無数の足が波うって、とてもはやい。
わたしはミナコちゃんの手を引き、にげたけれど、すぐ追いつかれそうになった。
ミナコちゃんが、木の根につまずいて転んだ。わたしは、ミナコちゃんにおおいかぶさり、目をとじた……もうダメだ。そう思ったのに、なにもおこらない。
ギュッとつぶった目をあけると、ずぶぬれのシノブくんが、わたしとミナコちゃんの前に立ち、水晶の剣で、大ムカデの黒光りするキバを押しとどめていた。
「にげてくれ、はやく」
ギリギリと力と力がぶつかりあい、水晶の剣にヒビがはいった。すきとおった刃がみるみる白くくもり、切っ先がくだけ散った。
シノブくんは、折れのこった剣を、大ムカデめがけて投げつけた。そのとたん、大ムカデは、はげしく身をよじってあばれ出した。
くだけた剣が、大きな目玉に命中したのだ。
やみくもにふりおろされた、するどい尾が、わたし達をかばうシノブくんの腕をかすめ、赤い血が飛びちった。
パラパラ……
雨がふるような音がして、シノブくんの血のしずくが大地にしたたると、それは小さな赤い石粒にかわった。
こんなときだというのに、それらは、とてもきれいな石粒だった。思わず、ひと粒を手にとると、シノブくんがさけんだ。
「イスルギさん、それをあいつに投げつけて」
「そうよ、それを投げて」
ふわりと、よい香りがたちこめ、耳もとでやさしい声がささやいた。
「え?」
おどろいてふりむくと、銀色の長い髪をゆるくたばねた女の人が、ミナコちゃんを助けおこしていた。
ひらりと、金のはねのチョウが舞いとんだ。
女の人がわたしを見つめ、だいじょうぶ、とうなずいた。
とっさにうなずき返し、わたしは、にぎりしめたこぶしをかまえると、ありったけの力で大ムカデめがけて、その赤い石粒を投げつけた。
(4)
パラッ。
赤い石粒が、大ムカデの足にあたって、地に落ちた。
すると、そこから緑の芽がでて、ふた葉となり、ふた葉から本葉、さらに本葉のあいだから、くるくるとしなやかなツルが伸びはじめた。
ツルは、緑の葉をしげらせながら、太く長くどこまでも伸び、大ムカデにからみついた。
ツルにからまれ、大ムカデの動きが、にぶくなった。
「この子を安全なところにつれていきましょう……あなたもいっしょに」
銀の髪の女の人が、ミナコちゃんをだきあげた。
わたしは、首をふった。
目の前に、腕をおさえたシノブくんがいる。
「そうね……そばにいてあげて」
その人がほほえんでうなずくと、風がふいて銀の髪がなびき、一瞬ののち、ミナコちゃんをだいた姿はかき消えた。
「イスルギさんも、にげてくれればよかったのに」
シノブくんが、ため息をついた。
「守らなくちゃ、いけなくなる……」
わたしは、ポケットにしまっておいた水晶をとり出し、シノブくんにさしだした。二人でオモカゲ山を歩いて、穴の底でみつけた、あの水晶だ。
「これを……おれた剣のかわりに」
シノブくんは、目をまるくして、わたしと水晶とを見くらべた。
「ありがとう」
いつもとちがうきびしい顔だったシノブくんが、ふいにいつもとおなじ、笑顔をうかべた。
「使わせてもらうよ」
シノブくんが、わたしの手から水晶をうけとった。水晶がかがやきはじめ、氷のようにすきとおった剣にかわると、シノブくんは、その剣先を天にむけた。
「ひと粒は、千粒に。千粒は、万粒に」
よくとおる声がひびくと、大ムカデにまきついたツルが、いっそう太く長くなり、葉をしげらせた。やがて、葉のすきまからツボミがふくらみ、ツルのあちこちで黄色い花がさきはじめた。
まるで黄色いチョウがとまっているような……三日月と小さなうず巻きとを組みあわせた形の……そう、その花はシノブくんの髪飾りに似ていた。
大ムカデが身をよじらせると、シノブくんがかざす水晶の剣が、いっそうかがやいた。
黄色いチョウのような花たちが次々に散り、あとにたくさんの緑のサヤがついた。サヤはみるみるふくらみ、茶色に色づき、パラパラと雨のように、赤い粒をこぼした。
地に落ちた赤い粒から、クシの歯ほどたくさんの、あたらしいツルが伸び、大ムカデにまきついた。
「もういいかげん、この地にしずまれ」
シノブくんが、水晶の剣先を、大ムカデに向けた。
大ムカデは、緑のツルにとらわれながらも、おれた剣のささった目玉で、にらみつけてくる。
アミの目のようにビッシリまきついたツルが、大ムカデごとグイグイ地面にしずもうとしている。たちこめる空気が、おもくるしい。
きらめく剣を大ムカデに向けたまま、みじんも動かなかったシノブくんが、ふいに腕をおさえた。
「……」
剣先がゆらぎ、シノブくんが、声もなくうずくまった。
その一瞬をまっていたのか、大ムカデが、尾で地を打ってはね上がり、からまるツルをひきちぎった。
「あぁ、しまった」
ちぎれたツルをふりおとし、大ムカデは、まるで黒いイナズマのはやさで水ぎわにすべり込み、しずんでいく。
「にげられた……」
シノブくんが、くやしそうにつぶやいた。
「黒沼の底に?」
「いや、もっと底深いところに……」
(5)
うずくまったシノブくんの腕からポトン、またポトンと血がしたたる。それは地に落ちて、黒い芽をだし、黒い葉をしげらせた。
「まずいなぁ、あいつの毒気にあてられた……」
こんなにつらそうなシノブくんを、はじめて見る。どうしよう、わたしはそばにいるのに、何もできない。
「だいじょうぶだから……イスルギさん」
オロオロするわたしにそういったとたん、ザブンと、滝のような水がふってきて、シノブくんは、びしょぬれになった。
「だいじょうぶでもないでしょ。もう、ホントに、あなたは無茶をするから」
水がかかると、黒いツルや黒い葉は、すべてしおれて消えた。
「ユズメさん!」
シノブくんが、ほっとした顔になった。
「ありがとう、助かりました……でも、そんなに水をかけたら傷口がいたいです」
「これは、『たんたら清水』でくんだ、浄めの水よ。いたくても、がまんして」
ユズメさんと呼ばれたその人は、素焼きの水ガメをかたむけて、傷ついたシノブくんの腕に、水をそそぐ。その小さな水ガメからは、いつまでも水があふれ、つきることがない。
「あの女の子は、遠足の小学生たちのもとに、かえしました。
わるいユメをわすれるオマジナイをかけてね」
ユズメさんの姿はたおやかで、たばねた長い銀の髪は、まるで流れる清水のように、日にすきとおっている。
「ほんとにありがとう、ユズメさん」
シノブくんは、つぶやいた。
「どうしてかなぁ、アイツをみたら、じっとしてられなくて……」
「千年ごしのライバルっていうのかしらね?」
ユズメさんが、かたむけた水ガメをもちなおすと、あふれる水は、ぴたりと止まった。
「アイツ、昔からロクなことをしなかったから……地震をおこしたり、旅人をおそったり、草木を枯らしたり」
「それもそうね」
ユズメさんも、顔をくもらせた。
シノブくんは、ふと手の中の水晶をみて、ほほえんだ。
「イスルギさんの石の剣が、ぼくを守ってくれたよ。ありがとう」
わたしが落ちてこなければ、ずっと土にふかく埋もれたままのはずだった……その水晶のかけらが、わたし達を助けてくれた。オモカゲ山の水晶のかけら……大切にしたい。
「ね、さっきイスルギさんが歌っていたのは、どこかに伝わる子守歌かな」
シノブくんは、すっかりいつものシノブくんだ。
「彼方にまたたく 夢の星
あわくきらめく 時の石……」
わたしは、なぜか覚えていたあの歌を、そっとまた歌いはじめた。
( ―水晶の剣― 2013.6.20・2015.2.17加筆 ) ©Tomoe Nakamura 2013
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