(1)
明日は、きっと晴れるだろう。
ころころと草むらをころがると、タンポポのわたげが、いっせいにスミレ色の空へまいあがっていく。
この風は、どこまで?
わたげ達は、どこへ?
わたしは、たずねまわるように、あちらにはね、こちらにはね、フワフワしたわたげを散らしつづけた。
そんなわたしの白い毛なみを、夕日がすきとおった桃色にそめる。
すがすがしい夕ぐれだ。
さんざんはねて遊んで、さてそろそろシノブくんのやしろに帰ろうと、思いきりのびをしたとき……わたしは、ふと耳をそばだてた。
だれかが、のぼってくる。足音そして歌声が、かすかにひびいてくる。
「オモカゲ山の オモカゲ草は
カガミ草といいまする いいまする」
おや?
オモカゲ山といったら、今わたしがいる、この場所のことだ。
わたしは、草むらにうもれた石段をみおろした。
「オモカゲ山の ユメミガサキの
カガミ石にさきまする さきまする」
ユメミガサキといったら、このオモカゲ山の三つの峰のひとつのことだ。
わたしは、目をとじて、鼻をくんくんさせた。人のにおいが、だんだん近づいてくる。
「シノブの宮さま どこでしょか
どこでしょか」
はて?
「シノブの宮」といったら、日頃わたしが居候している、あの「やしろ」のことだろうか?
「石だんのぼって みぃつけた
みぃつけた」
ふしぎな歌声とともに、草むらをかきわけてのぼってきたのは、すらりとした背たけの、まだ若い女の人だった。なぜだろうか、その片手には、青い麦の穂があった。
その女の人は、わたしの姿に立ちどまり、ぱっちりした目をみひらいた。
「まぁ、かわいい! 白いワンちゃん」
わたしが耳をピクリとうごかし、シッポをフサフサゆらすと、女の人は首をかしげた。
「ワンちゃん、なのかしら? それとも……白いキツネさん?」
わたしがじっと見つめかえすと、その人は、笑顔をうかべてつぶやいた。
「白いキツネさんなら、まるで神さまのおつかいね。
じつは……キツネさん、わたし、迷子になりかけているの」
そして、麦の穂で拍子をとりながら、さっきの歌をくちずさんだ。
「シノブの宮さま どこでしょか
どこでしょか」
なんだかものがなしく、でも、あたたかみのある歌声だった。
わたしは、その声をもっと聞いてみたかった。
それに、もしこのオモカゲ山にお参りにきた人が迷っていたら、道案内をするように、シノブくんからたのまれていた。
ということは、この女の人は、わたしのはじめてのお客さんだ。
わたしは、コン、とひと声なき、合図をしてみた。
ちゃんとついてきてくれるだろうか。
わたしは、女の人をふりかえり、ふりかえり、草むらにうもれて今にもとぎれそうな石段を、ピョコンピョコンとのぼっていった。
(2)
お客さんを、古びたやしろまで案内すると、わたしは木立ちにかくれた。
「ありがとう、ふしぎなキツネさん」
どういたしまして。
なぜかくれたかといえば、人間の、とくに大人の相手をするときは、人の姿かキツネの姿か、どちらかにしなければいけない。そう、シノブくんに教えられたからだった。
人なのにキツネの耳やシッポが残っているのは、どうやらよくないらしかった。
そこでわたしは、木立ちのかげで、白狐から人へと姿をかえると、お客さんにお茶を出すために、いそいでやしろの裏手から「くりや」に入った。
タンポポの妖精さんが
「いつもシノブくんのそよ風が、種をとおくまで飛ばしてくれるから助かるわ。
御礼に、どうぞ」
と、たくさんわけてくれた「タンポポの根」。その長い根をほして、きざんで、水から煮出して、こい茶色のお茶をいれる。
それがタンポポ茶で、「シノブの宮のおもてなし」だった。
まるい木の盆に、いれたてのタンポポ茶をついだ湯のみをのせ、二本足でしずかに運んでいくと、
「あ。イスルギさん、ありがとう」
と、シノブくんが、わたしの名を呼び、声をかけてくれた。
「あのね、この方は、サツキさんといって、カガミ石に行きたいそうだ」
わたしは、ペコンとおじぎして、シノブくんのかたわらに座り、サツキさんのお話を、いっしょに聞いてみることにした。
カガミ石……さっきの歌にでてきた言葉だ。それに、サツキさんが持っている麦の穂も、なんだか気になる。
いろいろふしぎに思うことがあり、なによりあの歌声をもう一度聞いてみたくて、わたしは、サツキさんのきれいな横顔をながめた。
「想いびと、ですか?」
タンポポ茶を飲みながら、のんびりした声で、シノブくんがたずねた。
「今どき、人の世には電話やメールなど、便利なものがありますね。
それなのに、カガミ石に?」
サツキさんは、飲みかけの湯のみをおき、こたえた。
「電話やメールは、とだえてしまったので……
神だのみです。
カガミ石に祈って麦の穂でこすると、石は、遠くはなれた想いびとのオモカゲを映しだしてくれる……そんな昔からの言い伝えを、信じてみたくて」
シノブくんは、首をかしげた。
「相手のきもちを知りたいのなら、電話やメールで直接たずねるのが、たしかな方法だと思うけどなぁ」
サツキさんは、目をまるくして、すこしわらった。
「お宮にいらっしゃる方なのだから、もっと神秘的なアドバイスをくださると思ってました」
「うーむ。その昔、カガミ石で想いを伝えあったという、はなればなれの男女も、もし今を生きていたら、まよわず電話やメールを使ったと思うなぁ」
「もし今を生きていたら……」
サツキさんが、さびしそうにつぶやいた。
シノブくんは、まじめな顔になった。ふと、何かを考えていたけれど、やがて笛を手にとり、しずかに吹きはじめた。
あの、ものがなしい、あたたかなメロディだった。
「オモカゲ山の オモカゲ草は
カガミ草といいまする いいまする」
サツキさんが、笛にあわせて、そっとくちずさんだ。
この声……この歌声。
なんだろう、胸にしみとおり、わたしを強くひきつける……
(3)
「さて、日も落ちて、よい頃あいだ。そろそろご案内しましょう」
シノブくんが、くちびるから笛をはなして、立ち上がった。
「足もとが、暗いから」
と、シノブくんから手わたされた懐中電灯に、サツキさんはまたわらった。
「シノブの宮の主さまなのだから、もっと神秘的な明かりを使うのかと思ってました」
「電池だって電灯だって、ぼくからすれば、とても神秘的ですよ」
シノブくんは、軽くこたえて、どんどん草むらの石段をのぼっていく。
「オモカゲ山の頂きまで、急な道だから、気をつけて」
シノブくんの言うとおり、そこはたいそう急な石段だった。
オモカゲ山はちいさな山で、のぼり道はわずか十分もかからなかったけれど、頂きについたときには、サツキさんもわたしも息をはずませていた。
「ここが、ユメミガサキ。そして……」
シノブくんが指さしたのは、宵闇の空につきだすように鎮まっている、大きく平たい峰石だった。
「あれが、カガミ石」
サツキさんが、夢みるように、歩みよった。
「サツキさん」
シノブくんが、しずかに呼びとめた。
「麦の穂でカガミ石をこすってみる前に、ひとつ伝説を聞いてくれませんか」
「……伝説?」
サツキさんが、首をかしげた。
「カガミ石を、麦の穂でこすると、遠くはなれた想いびとのオモカゲが映る……
でも、ユメミガサキには、それとは別に、もうひとつ伝説があるんです」
シノブくんは、語りはじめた。
「ユメミガサキのカガミ石を、あるとき若い男女がたずねてきました。
二人は、それぞれの親に反対されて、結ばれない恋をしていたんです。
はなればなれになる前に、おたがいの姿を映した二枚のカガミを、二人はカガミ石のかたわらに埋めました。
やがて、その場所にはヤマブキが育ち、コガネ色の花をさかせるようになりました。
ほら、今も……」
黒々としずまるカガミ石。そのほとりで、満開のヤマブキが、夜風をうけ、しなやかに花びらをゆらしていた。
シノブくんが、にっこりした。
「カガミ草、オモカゲ草と、古いわらべ歌に歌われているのは、このヤマブキの花なんです」
ゆるされず、結ばれず、けれども、その想いは今もコガネ色にかがやいて、年ごとに花ひらく。あたらしい春がめぐるたび……
「オモカゲ山の ユメミガサキの
カガミ石にさきまする さきまする」
サツキさんは、ふと歌ってみて、悲しげに首をふった。
「この世で結ばれないなら、いくら年ごとに花がきれいに咲いたって……」
(4)
「サツキさん。ユメミガサキって、とてもよく星が見えるんです」
シノブくんが、東の空を指さした。
「今、地平からのぼってきている青白い星、あれね、スピカです。
春の大三角をえがく三つの星のひとつで、乙女座の一等星」
「あら、あの光る星が……でも、それがなにか」
サツキさんは、夜空を見あげて、ふしぎそうだ。
「スピカは、乙女座の女神が手にした『麦の穂』だそうです。
その女神は、とても古い神話の女神で、いろんな場所・時代に、いろんな名でよばれてきました。たとえばイシス、デメテル、アストレア……」
シノブくんは、ちょっと遠い目をしていた。
「この古い女神たちのいろんな物語ですが……
大切なもの、大切な誰かをうしなって、女神がさまよい歩くところが、どれも似てるんです。
女神が手にした麦の穂から、てんてんとこぼれた麦つぶが、大地のコガネの実りの種になり、あるいは、星のちらばる天の河になった。
そして女神は、乙女の守り神でした。古代のカガミは、女神の聖なるしるし、乙女のおまもりだったんです」
サツキさんが、手にしたまだ青い麦の穂と、大きな黒い石とを、見くらべた。
「カガミ石と、麦の穂……あ、もしかして」
サツキさんは、あい色の闇をあおいだ。スピカをたずさえた女神を、春の東の空にさがしている目で。
「そう。ユメミガサキの伝説も、乙女座の古い神話のなごりかもしれない。
大切な誰かをうしなって、さまよった女神……今も、この地上を夜空から見守っている女神の、かすかななごりです」
サツキさんは、うなずいた。
「なるほど……カガミ石を麦の穂でこするときに、わたし、あのスピカに祈ってみます」
ヤマブキの花のむれが、コガネの星々のように、風にそよいでいる。
サツキさんは、東の夜空を見つめ、目をとじた。
やがて、銀河をうつすような黒い石を、そっと麦の穂でこすって、静かにうつむいた。
しばらくしてサツキさんは、夜空を見あげた。
「乙女を泣かせるなんて、かれはツミなひとです、ほんと」
「サツキさん……そういえば」
思い出したように、シノブくんがつぶやいた。
「スピカの和名は、『シンジュボシ』。
女神のかなしい伝説は、あのシンジュ色の光から、生まれたのかもしれないなぁ……」
サツキさんが、泣き笑いしてこたえた。
「きっと。乙女がこぼすシンジュの涙は、絵になりますから」
(5)
「オモカゲ山の オモカゲ草は
カガミ草といいまする いいまする
オモカゲ山の ユメミガサキの
カガミ石にさきまする さきまする」
シノブくんの笛にあわせ、サツキさんの歌声がながれる。
わたしは、目をとじて聞きほれた。
まるで夜空とユメミガサキの頂きとが、この歌声で、つながったようだ。
星の光が、カガミ石へとすべり落ちてくる。
コガネ色の花がゆれて、ゆれて、ときがとまる。
麦の穂をもった女神が、ゆっくりと夜空をめぐる。
かならずくる春、その約束のシンジュ星が、今宵もめぐる……いく千年の昔とかわらずに。
「夜もふけた、もうそろそろ下におりましょう」
いつのまにかシノブくんが、ヤマブキのちいさな花束を手に、たたずんでいた。
「はい、これ」
サツキさんは目をまるくして、シノブくんからその花束をうけとった。
「ありがとう……なんだか、この花たち、キラキラ光っているみたい」
「あ。もしかして、星の光をうつしているのかな……カガミ草っていうのだから」
と、シノブくんがこたえた。
サツキさんは、ほほえんだ。
「帰り道の足もとは、オモカゲ草の花束が、てらしてくれますか」
シノブくんは、首をかしげた。
「どうかなぁ。下りの石段、けっこうキツいですよ」
案内しながら先を歩くシノブくんは、しっかりと懐中電灯をにぎっていた。
人間というのは、夢を見るのがすきな生き物だろうか。
夜空の星をつなぎ、女神のすがたを思いえがいたりして……
「シノブの宮さま どこでしょか
どこでしょか
石だんのぼって みぃつけた
みぃつけた
シンジュ星さま みぃつけた」
いつのまにか、サツキさんの歌に、あたらしい詞がくわわっている。
サツキさんの後から石段をおりながら、わたしは、やしろにもどったらタンポポ茶をいれなおそう、と考えていた。
今夜は、人間のお客さん……まだ、夜は長い。
明日は、きっと晴れるだろう。
( ―オモカゲ草― 2013.5.20 ) ©Tomoe Nakamura 2013
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