(1)
うっそうとした木立ちから、カナカナカナ、とヒグラシの声がひびく。
「なんだ、そこにいたのか、アズマ」
のんびり呼びかけて、シノブくんが、ひときわ高い松の木をあおいだ。
「毎年こうして頂きの松から、大ワラジを見守る、それがわしの務めだからな」
よく通るふとい声がふってきた。松の大枝に、カラス天狗のアズマさんが、羽ウチワ片手に、高下駄ばきの姿で立っていた。
「ここからオモカゲ街が見わたせる。お前もこい、シノブ」
シノブくんが、わたしの手をひいて、ふわりと地面をけった。
まばたきひとつで、わたしはさっきまで見上げていた松の枝にすわり、かたわらにはゴツゴツした幹にもたれたシノブくん。もうかたわらには、枝をはなれたアズマさんが、つややかな黒い翼で宙にうかんでいた。
松のこずえを風がわたる。
「気持ちいい風だね、イスルギさん」
シノブくんが、にっこり。
夏の風が、オモカゲ山の頂きから、入道雲までかけていく。
見おろす緑の山すその、木立ちのすきまを見えかくれしながら、白い行列が下っていく。
白装束にきりりと身をつつんだ人々が、大きな大きなワラジをかつぎ、急な山道をおりていく。
「アズマの宮の大ワラジをね、ふもとの街までみんなでかついで運んで、にぎやかな大通りを練り歩くんだ……年に一度の今日、オモカゲ街の、夏の『ワラジ祭り』だよ」
ふだんは、ひっそり静かな「アズマの宮」も、ワラジをかつぎ出しにきた白装束の人のむれで、さっきまで大にぎわいだったのだ。
大ワラジは、秋に実った稲穂のわらを、冬の間にオモカゲ街の人々が、大きな大きなワラジに編みあげたという。まだ雪の残る早春の山道を、みんなでかつぎ登って、「アズマの宮」へと奉納したものだ。
そして、その大ワラジを、夏祭りの日には、またみんなで汗だくになって街までかつぎおろす。
それが、オモカゲ街の、オモカゲ山の、年ごとにくりかえされる習いなのだという。
人々にかつがれていく大ワラジは、まるで見えない大男の片足が履いて、山道を下っているようだ。
「毎年毎年あきもせずに、人間たちもよく同じことを続けるものだな」
アズマさんが、ふっと笑った。
「おかげで、わしも暑い昼寝から覚めたわい」
ここは、カラスガサキ。オモカゲ山の三つの峰のうち、いちばん東にある。
西の峰のユメミガサキには、シノブくんの「シノブの宮」。
中の峰・オモカゲ山のふところには、ユズメさんの「ユズメの宮」。
そして、この東の峰のカラスガサキに鎮座するのが、カラス天狗のアズマさんの「アズマの宮」。
アズマさんは、シノブくんの友だちだけど、ちょっとぶっきらぼうだ。
いつも「シノブの宮」でいろんな相談に耳をかたむけ、人間と仲がよいシノブくん。
「ユズメの宮」のやさしい巫女の、ユズメさん。
そんな二人とちがって、アズマさんは、カラス天狗の姿を、めったなことでは人前に現さない。
深い木立ちにつつまれた「アズマの宮」は、いつでもひっそりとして、空気がピリッと澄んでいる。
カナカナカナ、とヒグラシの声がやまない。
「さて、大ワラジも無事に山をおりたな。もう今頃、祭りが始まっただろう」
アズマさんが、羽ウチワをゆらしながら、カラスのようなクチバシであくびをした。
「昼寝のつづきでもするか」
「街の祭りは見ないのかい?」
シノブくんがあきれたように問うと、アズマさんは肩をすくめ、黒い翼を羽ばたかせた。
「おぬしほどつきあいが良くなくてな、宮に戻って寝ることにした。
おぬしこそ、白ギツネの子を、たまに人間の街まで案内してやったらどうだ」
飛び去りながら、アズマさんはわたしに片目をつぶった。
「キツネの子、人の街では、白いシッポを出してはならんぞ」
(2)
「いってこい」
去りぎわに、アズマさんがそういって羽ウチワをひとふりすると、風がおきた。
わたしはシノブくんと手をつなぎ、カラスガサキから風にのって、ふわりふわり。
緑のおわんをこんもり三つふせたような、オモカゲ山。
そのおわんのふもと、オモカゲ街をとりまくのはオモカゲ川。かがやく蛇のように、ゆうゆうと空をうつしてうねる。
ひろがる空、山と川。
あかるい景色は、やがて林のような建物、せわしない人の流れの底にしずみ、シノブくんとわたしは、ゆっくりと影をおとし、地上におり立った。
地面に足をつけたとたん、ふわっと、あまいワタアメのにおいがただよってきた。
大通りにたくさんの屋台がならび、並木の列にすずしげな飾りつけがゆれている。くす玉につるされた吹き流し、色とりどりの星や紙を結んだ笹の大枝。
みとれていると、シノブくんが指さした。
「七夕といって、夏の星まつりなんだよ。ねがいごとを書いたたんざくを、ああして笹の枝にかざるんだね」
頭上の吹き流しや笹の葉が、風にサラサラと鳴る。
ユカタ姿の人々がたのしげに行きかう。
「おや、あれはいつかのサツキさん、かな?」
シノブくんが、首をかしげた。
にぎわう人ごみの中、黄色い花もよう・あいぞめのユカタ姿が目をひいた。
あぁ、あれは……
カガミ石を麦の穂でこすり、涙をうかべていた……あのときのきれいな横顔に、今はほほえみをうかべ、サツキさんが前を歩いていく。
サツキさんとならんで歩くのは、背の高い男の人だ。
サツキさんが話しかけると、うんうんとうなずく横顔がとてもやさしい……背の高いその人によりそう、黄色い花もようのユカタ姿は、幸せそうだった。
「よかったね、サツキさん」
シノブくんが、つぶやいた。
「あれ、このたんざくを書いたのは、あのときの」
シノブくんが、たくさんある笹かざりのひとつに近より、びっしりつるされた細長い紙の中から、一枚を手にとった。
さくら色の紙に、ていねいな字がくっきり。ねがいごとが記されていた。
「おおきくなったら、おはなやさんに、なれますように。みなこ 」
シノブくんが読みあげた。
みなこ……
わたしは、シノブくんの手元をのぞきこんだ。
「あ、もしかしたら。黒沼で泣いていた、ミナコちゃん?」
シノブくんは、うなずいた。
「たぶん……この笹は、あのとき遠足にきていた小学生たちが、かざったものかな」
「どうしてわかるの? こんなにたくさんの笹かざりの中から」
さっきもシノブくんは、人ごみからサツキさんの姿を見つけていた。いともかんたんに。
ふしぎでならなかったけれど、シノブくんはいつもどおり、にっこりするだけだった。
「どうしてかな……御縁(ごえん)、かな。きっと」
七夕かざりの並木をそぞろ歩く人のむれから、わぁっと声があがった。
白装束の男たちが、大きな大きなワラジをかつぎ、いせいよく大通りをすすんでいく。
うちならすタイコやカネの音とともに、大ワラジは、午後のオモカゲ街をねり歩いた。
そうして夕方には、オモカゲ川までいくという。
とおくでゴロゴロいっていた雷が、しだいに大きくなってきた。
わきおこる入道雲がいつしか雷雲にかわり、しめった風がザワザワと、笹かざりをたなびかせた。
(3)
ふいに、ピカッと空がひかり、ポツリと大つぶのしずくが落ちてきた。
「あめだ、雨がふってきた」
にげまどう人々におおいかぶさるように、夕立があたりを白くけむらせる。
稲妻の青びかりが、黒雲にはしる。
ガラガラズシャーンと、空気がわれるほどの雷鳴が響きわたった。
「雨やどりしよう、イスルギさん」
シノブくんといっしょに、建物のかげに駆けこもうとすると、ヒラッと何かが目の前をよぎった。
「まてっ。まってくれよぅ」
雨にうたれてずぶぬれの男の子が、風にとばされた水色の紙を追いかけ、空に手をのばした。
息をはずませる男の子におかまいなく、雨の白いカーテンをめくりあげ、人々の手からカサをもぎとり、風はふきぬけていく。
カサもない男の子の手には、ちいさな笹の枝がにぎられていた。
空にまいあがる水色の紙をおいかけ、わたしも男の子といっしょに駆けだそうとすると、シノブくんに右手をつかまれた。
「イスルギさんは、すぐ迷子になるからね……」
シノブくんは、男の子に声をかけた。
「たいへんだ、たんざくが飛ばされたのかい?」
男の子がこくんとうなずくと、シノブくんは雨足のつよい空をみあげた。
「どうしようかな……よし、そうだ」
シノブくんは、男の子が手にした笹の枝から、いちまいの葉をとって、ふっと息をふきかけた。すると、ちいさな笹の葉は、みるみる大きな舟になった。
「さぁ、ふたりとも、この笹舟にのって」
とまどう男の子の手をとり、うながされるままのりこむと、その緑の舟は、ふわりと風に浮きあがった。
「わっしょい、わっしょい」
雨の中、いせいのよいかけ声をひびかせ、白装束の人々がずぶぬれで、大ワラジをかついでいく。
その大ワラジにそうように、わたし達の笹舟が空をすべっても、だれも気がつかない。
舟のへさきに立つシノブくんは、雨にぬれ風にふかれて、なんだかいつもよりキラキラと楽しげだ。
風にのった笹舟が、あっというまに、たんざくに追いついた。
シノブくんが風に腕をのばし、ぬれそぼった水色の紙をつかまえた。
「これかな、きみのたんざく」
シノブくんの手のひらには、びっしょりぬれた紙にインクのにじんだ線でえがかれた、星がひとつ、舟がいっそう……そして、「カイト」という文字。
男の子が、こくんとうなずいた。
どうやら、この子の名は、「カイトくん」らしかった。
「おねがいごとは、星の絵、そして舟の絵……うーん?」
シノブくんが首をかしげて、じっと、そのたんざくを見つめた。
「字で書ききれないくらい、いっぱいのおねがいごと?」
シノブくんがつぶやくと、カイトくんはびっくりした顔でうなずいた。
「ぼくのおじいちゃん、魚をとる船がしずんで、お星さまになったんだ」
「そうか、このたんざくは、おじいちゃんへの手紙だったのか」
「うん、ずっと前になくなったおばあちゃんと、お空で会えるといいね、なかよくくらしてね……って、ぼく、書いたんだ」
シノブくんは、大きくうなずいた。
「なるほど……よくわかった、カイトくん」
さっきからキラキラと、シノブくんをつつんでいた光が、あわい緑にかがやいた。
「今日は七夕だからね」
シノブくんが、ふところから横笛をとりだした。
「空のおじいちゃんとおばあちゃんに、手紙をとどけにいこう」
シノブくんの笛の音とともに、あわい緑の光があふれ波立った。光の波は、泉からほとばしる小川のように、笹舟をうかべた。
「わっしょい、わっしょい」
オモカゲ街をねり歩く大ワラジが、だんだん下のほうに、小さく遠くなる。
わたし達の笹舟は、キラキラした光のヘビの背に運ばれるように、空高くまいあがった。
(4)
シノブくんが、へさきに立って横笛をふきならすと、緑の光がこぼれる。
キラキラひかる緑のヘビは、あっというまに笹舟を、星の波間へとつれだした。
わたしは、カイトくんがしっかり持っていた笹の枝に、吹きちぎられた水色のたんざくを、糸で結びなおした。
「おねえちゃん、ありがとう」
カイトくんは、うれしそうだ。
「とってもきれいな銀の糸だね」
「どういたしまして」
結んだ糸が、わたしのシッポの毛だということは、ないしょにしておこう。
星くずが舟べりにぶつかるたび、コロン、ポロン、とふしぎな水音がたつ。
コロン、ポロン……
この水音、どこかで聞いたことがあるような……
この星の波間のどこかに、わたしの帰る場所があるような……
チリン。
胸につるしていた、オモカゲ山の水晶のかけらが、かすかにふるえた。
なんだろう?
「彼方でまたたく 夢の星
あわくきらめく 時の石
石をみがいて 星にしよ
涙のかけらも 友にして
闇のしずくを いやすまで」
ふと、いつかの子守歌が口からこぼれた。
チリン、チリン。
胸もとの水晶が、ふるえる。
舟べりの星くずたちが、キラキラと舞いながら、あつまってきた。むれ飛ぶホタルのようだ。手をのばすとかんたんに、つかまえられた。
カイトくんの笹の枝に、そっととまらせると、そのままキラキラひかっている。
「ほんとの星かざりだ」
カイトくんが目をかがやかせ、星くずをつかまえては、笹にとまらせていく。
ほそい葉にたまるツユのように、たくさんの星くずがきらめいて、水色のたんざくをとりかこむ。カイトくんの笹の枝は、とても見事にかざられた。
「すごいや、おじいちゃんに見せてあげたいなぁ」
まるでカイトくんのことばに応えるように、星の波間のかなたから、いっそうの舟があらわれ、ゆっくりと、こちらに漕ぎすすんできた。
シノブくんの笛の音が、しずかにひびきわたる。
「あ、おじいちゃん、おばあちゃん……」
手漕ぎの舟をあやつるのは、がっしりした腕に櫂をにぎった、おじいさん。白髪だけれど、日焼けした顔がわかわかしい。
その舟にはもうひとり、やさしくほほ笑むおばあさんが座っていて、ひざの上で縫い物をしていた。
二そうの舟が、星の波間にならんだ。
カイトくんが笹舟から身をのりだすと、おじいさんも舟べりから腕をのばし、くしゃくしゃの笑顔で、カイトくんの頭をごしごしなでた。
おばあさんが、ひざの上の縫い物の糸をきり、なにか刺繍をした布をひろげて、カイトくんに見せた。
刺繍は、かわいらしい図柄で、なかよく笑う三人家族がえがかれていた。
「それ、パパとママとぼくだね、おばあちゃん。うん、そう、そうだよ、ぼくたち、元気だよ」
カイトくんが力をこめてうなずくと、おばあさんは、その布を大切そうにカイトくんに手わたした。
「ありがとう、ぼくからも、これ……」
カイトくんが、水色のたんざくを結んだ笹をさしだすと、おじいさんとおばあさんは、とてもうれしそうに受けとって、美しい枝をほれぼれとながめた。
シノブくんの笛の音が、ゆっくり尾をひいて鳴りやんだ。
星の波間を、しずけさがつつんだ。
おじいさんとおばあさんが、手をふっている。
おじいさんは櫂をもち、おばあさんは笹の枝をだいている。
二そうの舟が、すこしずつ離れていく。ゆらゆら、ゆらゆら、笹舟がゆれる。
コロン、ポロン……
ふしぎな水音だけが、耳をうつ。
(5)
ふりしきる雨音に、われにかえった。
「イスルギさんは、すぐ迷子になるからね……」
そういって、わたしの右手をつかんだはずのシノブくん。もう片手で、水色の紙を差しだしながら、男の子にたずねかける。
「これかな、きみのたんざく」
「あ……ありがとう、おにいちゃん」
男の子は、おどろいた顔であたりを見まわした。
「もう風にとばされないようにね」
シノブくんからたんざくを受けとると、男の子は大きくうなずいた。
「うん、家に持ってかえって、お母さんに糸を結んでもらうよ。それから、折り紙のお星さまをたくさん作って、この笹、もっときれいにかざるんだ」
男の子は、雨にぬれたたんざくを、だいじそうにながめた。
「すこし、にじんでしまったね」
シノブくんがつぶやくと、男の子はじっと目をこらして、インクのにじんだ線をみつめた。
「なんだか、舟に人がふたり、のっているみたい……」
男の子は、ひとりごとを言いながら、ゆっくり首をかしげ、にこっと笑った。
そのたんざくには、星がひとつ、舟がいっそう描かれ、そして……にじんだインクが、舟の上のふたりの人影に見えた。
「ありがとう」
もういちどお礼をいうと、男の子は、元気よく雨の中をかけていった。
「あの子の名前……カイトくん」
ぼんやりつぶやくと、シノブくんがうなずいた。
「そうだね」
はげしかった雨がすこし小止みになり、空があかるんできた。
「さぁて、イスルギさん。お祭りのワラジ行列に、ついていこうか」
シノブくんが楽しげに、わたしの手をひっぱった。
「わっしょい、わっしょい」
白装束の人々にかつがれた大ワラジが、オモカゲ街をねり歩き、オモカゲ川まで運ばれていく。
「わっしょい、わっしょい」
いつしか雨あがりの街はたそがれて、オモカゲ川が夕ぐれ色にそまる。
「わっしょい、わっしょい」
水しぶきをあげながら、大ワラジをかついだ人々が、オモカゲ川の浅瀬をわたる。
西の空に、一番星がまたたきはじめた。
日暮れていく川面の大ワラジは、星の波間までただよっていく、いっそうの舟にも思われた。
いく羽もの黒い鳥影が、大ワラジを見おろし、オモカゲ川の上をつらなって羽ばたく。まるで、つばさの橋をかけるように。
わたしのすぐそばにも一羽、飛んできた。
その夜の色の翼には、星あかりのような白い羽がまじっている。
「カササギの橋とは、風流じゃないか。もう昼寝からは覚めたのか、アズマ」
シノブくんが呼びかけると、そのカラスによくにた鳥は、くるりと円を描いて飛びながら、しわがれた声で鳴いた。
「すこしだけ様子をみにきたのだ。どうだ、キツネの子、祭りは楽しんだか?」
からかうような、アズマさんの声が、耳のおくでひびいた。
「これから、川原で打ち上げ花火がはじまるぞ。もうすこし楽しんでこい」
黒い鳥は、オモカゲ川の川面をまうカササギの群れへと、飛びさっていった。
大ワラジを奉納した川原に、たくさんの人があつまって、なにか待っている。
ふいに、夜空に、金の花がひらいた。
とおい天の河にたむけるように、かぞえきれない光の雨が、青い闇を流れおちる。
オモカゲ川にうつる光の波を、わたしは見つめていた、まるで時がとまったように。
シノブくんのかたわら、いつまでもずっと。
( ―天の河― 2015.3.6 ) ©Tomoe Nakamura 2015
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