「 文学と教育 ( 本誌&会報 ) 」掲載作品   青い星のほとり

 
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− 青い星のほとり −

 

 

 

 青い星のほとりで起こった出来事です。

 

 夜の海に、長い尾を引いてひとすじ、銀の光が空からすべり落ちました。

「あっ、流れ星!」

 ベランダから身を乗り出し、明日香は、いそいで願い事をとなえました。

「新しいお友達ができますように」

 明日香が部屋の窓をしめた後、暗い波うちぎわに小さな銀色のくしゃくしゃした物が打ち上げられ、よろよろと砂浜に足あとを残し、パタリと動かなくなりました。

 

 明日香は十一歳。

 潮風小学校に転校して来たばかりの五年生の女の子でした。

 明日香のパパが、小さな海辺の町の大学で海鳥の研究をするために、遠くの大きな街から明日香とママを連れて、この春引っ越しをしてきたのです。

「この町の海ではね、春、遠く水平線のかなたに、しんきろうが立ちのぼるんだ」

「しんきろうって何?」

「かげろうだよ、明日香。ゆらゆらゆらめくまぼろしの風景。英語では、ミラージュって言うのさ」

 新しい家の窓を開けながら、パパは明日香にそんなふうに教えてくれました。

 開けはなった窓からは広々と海が見わたせて、明日香の白いほっぺたは、春の潮風が運ぶ日ざしのいたずらで早くもうっすら小麦色に変わり始めています。

 そして今日、初めて入った教室で明日香を待っていたのは、たくさんの真っ黒に日焼けした顔と、たくさんのすばしっこそうな瞳。

 明日香は勉強は得意でしたが、泳いだりかけっこしたりするのは苦手でした。

 ところが、明日香の新しい教室には、どうやら勉強は苦手だけれど、海で泳いだり浜辺を走ったりするのは大得意、という面々がずらりとそろっているようすでした。

「どうか早く……」

 潮騒のさわぐ波の上には、こぼれ落ちそうな銀河が広がり、今夜はよい夢が見られそうでした。

「早く、新しいお友達が出来ますように」

 さっき見た流れ星への願い事をもう一度つぶやき、明日香はベッドにもぐりこみました。

 

「明日香ちゃぁん、どこにいるのかぁい」

 コンクリートの防波堤の向こう側で、黒崎さんの声が右へ左へと響き、やがて遠ざかっていきました。

 浜辺の岩かげにひそんでいた明日香は、ほっとため息をついてはい出しました。

 黒崎さんは、明日香のパパの新しい研究室の、助手さんです。

 引っ越したばかりで学校に慣れない明日香のために、パパが家庭教師をたのんでくれたお兄さんでした。

 けれど明日香は、なんだか黒崎さんが好きになれません。

 黒崎さんのメタル・フレームのメガネときたら、まるで難しいテスト問題を前にしているみたいに、いつだってぴりぴりひんやり光っていたからです。

「あれ?」

 明日香の目が、砂浜の一点にくぎづけになりました。

 あわい銀色のやわらかそうなかたまりが、ビクンと動いて、パタパタと砂を舞いあげながら転がり、また動かなくなりました。

「鳥だわ、カモメかしら」

 銀色の生き物のほっそりした翼は砂にまみれ、小さなくちばしが苦しそうに時々半分ひらきました。

「飛べないんだわ」

 明日香はそっと近づきました。

 すると、ふたつの小さな濡れた空のかけらが、明日香を見上げました。

「このカモメ、目が青い!」

 その空のかけらのような瞳があまり透き通っていて、そして吸い込まれそうに深い色なので、明日香は目をそらすことが出来なくなりました。

 まるでパパが昔ママに贈ったというアクアマリンのペンダントみたい、いいえ、カモメの二つの瞳は宝石よりももっときれいでした。

 だって、明日香をじっと見つめるまなざしからは、生きている者の持つうるおいと意志とがあふれ出ていたのです。

 銀のカモメの首には真珠色に光るくさりがさがっていて、そのくさりの先っぽで不思議な瞳によく似た青い石がひとつ、ピカピカ小さな明かりをまたたかせていました。

「ぼくを、助けて」

 明日香の頭の中で、ためらいがちな声が小さくひびきました。

「えっ、だれ?」

「ぼくだよ、君の目の前にいる。事故で、宇宙船が落ちたんだ。翼をケガして動けない」

 明日香の頭の中で声がひびくたびに、手負いのカモメの胸に光るアクアマリン色の石が、ほたるのようにともったり消えたりしました。

 明日香は、おそるおそる銀の羽毛につつまれた生き物を抱き上げました。

「ぼくの名は、リュート」

 軽くて温かい声のひびきが、明日香の胸に流れこんで来ました。

「あたしは、明日香」

 リュートの体はその声と同じようにふんわりと温かく、かすかな鼓動が、抱き上げた明日香の両腕に伝わってきました。

「明日香、青い星の明日香。ぼくはひとりぼっちだ、どうか友達になって」

「友達ですって」

 明日香の顔全体がぱっと明るくなりました。

 満天の星にかけた願いが、聞き届けられたのでしょうか。

(銀の流れ星さん、ありがとう!)

 銀の翼のカモメを両腕でそっと抱きながら、明日香はこくんとうなずきました。

 

 

 その日からです。

 学校帰りの明日香に、秘密の寄り道コースが出来たのは。

 海辺の岩かげで傷ついた翼を休めているリュートに、明日香は毎日コンペイトウとミルクを運んであげることにしました。

 色々な種類の食べ物をためした結果、銀のカモメの好物は、星の形の砂糖菓子と銀のお皿に満たしたミルクだということがわかってきました。

 なぜそうなのか、明日香はちょっと不思議に思ったのですが、リュートは笑って教えてくれました。

「ミルクは、天の川を流れる光に似ているし、コンペイトウは、銀河の河原の砂つぶにとてもよく似ているよ」

 こんなふうに、リュートがなんでもないことのように話してくれる銀河の様子は、明日香が理科の教科書やパパの百科事典で読んで知っていた銀河とは、ずいぶん違っていました。

 カモメのリュートはそんな不思議な世界をとても遠くから旅してきて、今この星に小さな宿を求めている旅人でした。

 そして明日香は、その小さな宿の女主人……

 「青い星の明日香」と礼儀正しくリュートから呼ばれるたびに、まるで大人の女の人に変身したような気がして、明日香はくすぐったくなりました。

 もう、学校帰りの道をひとりで歩くことなんて、明日香にはなんでもない問題です。

(この町に来て、リュートと会えた!)

 知らない教室にふっとまぎれ込んでしまった転校生のとまどいも、そう思うたび、胸の底からシャボン玉のように浮き上がり、ぷちんと透明な音をたてて消えていくのでした。

 

「スター・ミラージュって、知ってるかい」

 ある日、リュートがぽつんと言いました。

「星の……しんきろう?」

 明日香はパパに教えてもらった言葉を思い出しながら首をかしげました。

 リュートはちょっとうなずいて、遠くの空を見上げました。

「そう、スター・ミラージュ。星の光が、暗い宇宙で乱反射するんだ。その乱反射はね、まるでふしぎな幻灯の光。

 星図には記されていない場所に、輝く星が浮かんでいる……でも、レーダーには何も映らない」

 その声は、いつもより沈んでいました。

「旅人の目をまどわすまぼろしだよ。暗い闇に浮かぶ、青いオアシスの星かげ」

 リュートのまなざしは、とても遠い遠いところに向けられていました。

「宇宙船の計器が故障して、レーダーが役に立たなくなった時、船に乗っていたぼくらは皆、もうだめだと何度となく思ったよ。

 でも、そのたびに、青いオアシスの星のあわい光がスクリーンに現れては消え、現れては消え、ぼくらをさそい続けた。

 だからぼくらはレーダーをあきらめ、目に映るまぼろしの星の光を追いかけて、こわれた船をなんとか操った。オアシスにたどり着きたい一心で。そして、本当に青い星を見つけた時、船はもうボロボロだった……」

 まんまるの青い瞳がキュッとかたく閉じられて、銀の翼がかすかにふるえました。

「もし仲間が生きているのなら、船を修理してもう一度、宇宙に旅立つだろうけど。

 でも、生き残ったのがぼくだけだったら……」

 リュートはそこで言葉をなくしました。

 では、いつか見た大きな銀色の流れ星、友達が出来ますように、と明日香が祈ったあの流れ星は、故障して墜落する宇宙船だったのでしょうか。

 ふいにガラスのとげでもささったように、明日香の胸がチリチリと鳴り始めました。

 もしそうならば、大気の中で燃えながら落ちるその船には、リュートと彼の友達が何人も乗っていたことになります。

 そしてリュートは、事故の衝撃で船からも仲間からももぎ離されて、夜の海にふり落とされ、たったひとり浜に打ち上げられたのでしょうか。

 そこまで考えたとき……

「リュート、この星でぜったいひとりぼっちにはさせないから、安心して」

 明日香は思わずそう言いました。

「あたしは、ずっと友達よ」

 リュートは翼をなかば開いて見せ、首をたれて明日香が薬をつけてくれるのを待つしぐさをしました。

 二人とも黙ったままでした。

 けれど、リュートの胸の青い石はいつにもまして澄んだ光をまたたかせ、その明るい光には、空や海の色が溶けこんでいるようでした。

 

 ピシッ。

 どこからかふいに石つぶてが飛んできて、リュートのすぐ足元の砂をはね飛ばしました。

 驚いてリュートをかばった明日香の腕を、もう一つ飛んできた石のかけらが傷つけました。

「やーい」

 防波堤のそばで、日焼けした男の子がはねて笑っています。

 明日香は、その顔に見覚えがありました。

「あなた、悠太くんねーっ。どうしてこんなことするのーっ」

「やーい、転校生。お前こそ、毎日ひとりでこそこそ何やってんだーっ」

「ほっといてよ、あたしの自由よーっ。それよか石投げるなんて、さいてーっ」

 悠太はまだ笑っています。

「やーい、もやし。お前、ちょっと変だぞーっ」

「バカーッ、大キライーッ。あっちへ行ってーっ」

 明日香が目茶苦茶な言葉を投げつけると、悠太はやーいとはやしながら行ってしまいました。

 小石があたった腕に血がにじむのを、明日香はくちびるをかんで見つめました。

「大丈夫、明日香?」

「同じクラスの子なのよ、ひどいわね」

「この青い星にいるのは、みんな明日香みたいなやさしい人ばかりだと思っていた」

 リュートがつぶやきました。

「それも、ぼくの勝手に思い描いたまぼろし……しんきろう……だったのかな」

 銀のカモメは、まるで家に帰れなくなった迷子の子どものように、翼を小さくすぼめました。

 明日香は、傷口をぎゅっと押さえました。

 

「心配しないで、リュート。 あたしが守ってあげる」

 リュートの透きとおった瞳が、どこかなつかしげな色を浮かべて明日香を映し出しました。

「ぼくは、まぼろしの青い星を追いかけてこの海にたどり着いた。

 その星はね、闇の中でとっても安らかな光を放っていたよ、明日香」

 そのまぼろしの星影は、リュートのアクアマリンのまなざしとよく似た光をこぼしていたかもしれません。

 スター・ミラージュ……

 澄んだ光を放つ星の輪郭が、ぽうっと目に浮かんでくるようで、明日香は思わず息をのみました。

 でも、その時……

「すごいぞ、銀色のカモメだ。新種かな、ぜひつかまえて調べなくては」

 遠くからじっと、メガネの奥の冷たい視線が二人にそそがれていることに、明日香もリュートも気がついてはいませんでした。

 

「なんだかこの頃、ミルクのなくなるのが早いわねえ」

 冷蔵庫の前で、エプロンをつけたママが首をかしげました。

「それに明日香ったら、急にコンペイトウが好きになったみたい。おやつときたら、コンペイトウばっかりだもの」

 明日香がリュートと出会ってから早くも一ヵ月ほどが過ぎ、リュートの傷ついた翼もずいぶんよくなってきていました。

「悠太くんったら、またあんな離れた所からうろうろのぞいてる」

 明日香はあきれて、コンペイトウをくわえた銀のカモメに言いました。

 防波堤の向こうに、青い野球帽がみえかくれしています。

 リュートはちょっと首をかしげました。

「明日香と仲直りしたいんじゃないのかな」

「まさか」

 明日香がほっぺたをふくらませた時でした。

 わあっと悠太が大声をあげて、防波堤のそばに来た男の人と取っ組み合いを始め、あっという間にはねとばされました。

「何をやっているのかしら」

 明日香が目をこらしたとき、悠太をふりはらった男の人が、長い筒のような物を取り出して、きらっと光るその先端の輪をこちらに向けたのです。

 明日香の顔色が変わりました。

「たいへん。黒崎さんだわ、銃を持ってる」

 エアガンをかまえてリュートをねらっているのは、パパの助手の黒崎さんでした。

 キン!

 するどい音がして、リュートの胸の石をつなぐ真珠色のくさりがはじけ飛びました。

 リュートは銀の翼を広げると、矢のように空へ飛び上がりました。

「やめろよぉ、明日香に当たるだろっ」

 悠太がバネのように黒崎さんの腕にかじりついてエアガンをひったくり、そのはずみで黒崎さんは防波堤のコンクリートにぶつかって、どんっと転びました。

 リュートが潮風に乗って高くまいあがり、明日香のほほを翼の先でかすめながら飛びまわりました。

「リュート、すっかり翼がなおったのね!」

 明日香は波打ちぎわをかけ出しました。

 

 ゆらゆらと、水平線のかなたから銀色の光が広がって、あたりを包み込みました。

「しんきろうだ」

 悠太がさけびました。

「ちがう、宇宙船よ」

 リュートは水平線に向かってはばたき、やがてまばゆい銀色のもやに、ゆっくりと吸い込まれて見えなくなりました。

「お友達が、むかえに来たんだわ」

 ほの白い銀河の河原で、星くずのコンペイトウをついばみ、まい飛ぶ銀の翼たち。

 波に足をぬらした明日香のまぶたに、そんなミルキーウェイのまぼろしが、遠く浮かんでは消えていきました。

「さよなら、あたしのカモメさん……」

 砂に落ちたアクアマリン色のかけらを拾いあげ、明日香はそっと耳に押しあてました。

 

 すると、ひんやりした石の感触をつたわって、明日香の耳に、リュートの最後の言葉がかすかに届いたのでした。

「明日香はオアシスだった、ありがとう……」

 

 水平線にしんきろうの立ちのぼる春は過ぎさり、いつしかまぶしい初夏の日ざしが、海辺の小さな町いっぱいにふりそそいでいます。

「ね、悠太くん。つばさっていう漢字、知ってる?」

「つ・ば・さ?」

 この頃、明日香と悠太はよく一緒に学校から帰ってきます。

「あのね、小さな羽が大きなイを運んでいるみたいな形なの。

 イは異世界の異。

 大きな異なる世界に向かって、一生懸命に小さな羽がはばたいている……それが、翼っていう字」

 明日香が少しぼんやりして言いました。

 悠太はそんな明日香を横目でながめました。

「お前、言ってること、むつかしーぞ」

「そうかなあ」

「なあ、オレ。お前に走り方のアドバイス、してやろうかと思ってたんだ。

 走るにも、コツってもんがあるんだよな。体育のときなんか見てられないぜ、お前のフォーム」

「そうかなあ……」

 悠太がぼそっと言いました。

「カモメは、飛び方、教えていってくれなかったな……」

「うん……」

 明日香は、くさりの切れた青い石のペンダントをポケットから取り出して、そっと耳元で揺らしました。

 銀河を飛ぶ小さな羽の持ち主が、もう一度ひそやかに声を伝えてこないだろうかというふうに……

 それから悠太の顔をみて、にっこりしました。

 

 青い星のほとりで起こった出来事です。

                 

 

            (終)

 

「文学と教育の会会報 第29号」(1996/3/25発行 文学と教育の会) 掲載作品

 

 

 

 

 

(2015/6/8 加筆)

  

©Tomoe Nakamura 1996

 

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